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ひろかず
ひろかず
地球生まれ NAGANOcity在住

よろこびのたねまきをしたいきまぐれのまぬけ 

趣味:写真 創作 映画 音楽 旅行 甘食 サイクリング 山登り 

2013年04月17日

目に見えないもの信じよう! 槇原敬之

http://youtu.be/5Efoah5WUug

昨日の槇原君のコンサートのテーマは、目に見えないものは、ないと決めつけない、大事にしよう、信じよう!
夢とか、希望とか、絆とか、愛とか、この世界が、僕らが失ってしまわないように、、、、。

最近私が好きな曲は、次の Remember My Nameです。
今回コンサートで槇原君歌ってくれてなぜか涙が止まりませんでした。

http://youtu.be/Cc_0oUC6dKw

槇原敬之 – Remember My Name

作曲︰Noriyuki Makihara
作詞︰Noriyuki Makihara

歌詞
さっき君に告げたのは
僕の名前だけど
それは君の友達という別の
意味があるんだ
孤独が君の事をどこかへ
さらおうとしたって
僕の名前を呼べば
孤独は君に近づけない

君は心の中で僕の名前を
ただ大きな声で呼べばいい

もし君の心が悲しみの
海の底に沈むなら
僕は腕利きのダイバーになって
どんな深くへも見つけに行くよ

そう友達はなんにでもなって
心の側に飛んでいけるんだ
Please call my name,
so remember my name
Just call my name,
so remember my name

一人じゃないって事は
思うよりもずっと
役に立つんだよ ほんとさ
君は信じていい
同じ痛みも喜びも
感じられないけれど
分け合いたいと思う
気持ちは力持ちなんだ

君は心の中で僕の名前を
ただ大きな声で呼べばいい

もし君の心が悲しみの
海の底に沈むなら
僕は腕利きのダイバーになって
どんな深くへも見つけに行くよ
そう友達はなんにでもなって
心の側に飛んでいけるんだ
Please call my name,
so remember my name
Just call my name,
so remember my name

それが痛みでも悲しみでも
感じる心があるなら
その先がある僕らの旅はまだまだ
終わりじゃない 続きがあるんだ

もし君の心が悲しみの
海の底に沈むなら
僕は腕利きのダイバーになって
どんな深くへも見つけに行くよ
そう友達はなんにでもなって
心の側に飛んでいけるんだ
Please call my name,
so remember my name
Just call my name,

僕の名前を覚えていて
それは君の友達の名前



とってもいい名曲と思います。
友情も目には見えないですが、最高に美しいですよね。

また、ちらほら地震の気配がしてきました。
皆さんの地域では大丈夫でしょうか。
目に見えた世界が悲しい状態の三陸の海も必ず甦ってほしいですね。  

Posted by ひろかず at 23:58Comments(0)グローバル・ピース

2012年02月13日

イルミナティの暗殺リスト

http://youtu.be/5EtZ4QmomjE

signsoftwentytwelveさんが2011年5月25日にアップロード
すべての人間、善良、真実、市民的自由、人間の精神のために立ち上がるためにイルミナティによって殺害されたそれらの殉教者、真のヒーロー。彼らが死亡しているにもかかわらず、真実の彼らの遺産は生きます...

多くの有名人が沢山殺されているんですね。  


Posted by ひろかず at 03:28Comments(0)グローバル・ピース

2012年01月02日

年越し紅白のテーマ


年末は、天気も荒れることなく穏やかでしたね。

お歳とりは定番スキヤキ鍋です。

そして、日本人の定番番組紅白歌合戦。
今年の紅白のテーマは、やはり絆ですかね。
応援ソングが多かったですね。
AKB それでも未来へ風はふいている~
世界に誇るアイドルタレント。
アイドルタレントと言うのは、アニメと同じで日本の文化のようです。

大震災の支援にも来日したレディーガガ。
多彩な歌手ですね。

おめでたい小林幸子。

獅子舞の上に乗っかりました。

キャロもちょっとご馳走あやかります。

ビールはダメ?

福島県出身の西田敏行。
故郷への愛情あふれる熱唱でした。

共に生きる~ 長渕剛の気迫。

廃墟さながらの校舎の前でのライブです。

おおとりは、SMAP。
白が盛り上がったように見えましたが、赤の勝ちでしたね。

紅白も終わり、新年のカウントダウン。
ホントに、ハッピーなニューイヤーでありたいですね。
  
タグ :紅白


Posted by ひろかず at 00:25Comments(0)グローバル・ピース

2011年12月26日

韓国文化院


変わった建物だなあと観ていたら韓国文化院でした。駐日韓国大使館の一部門で、日本における「韓国文化の総合窓口」。四谷三丁目にあります。ビル正面のカーブは、韓国の伝統民族舞踊「僧舞(スンム)」をイメージしたデザインだそうです。映っている反対側のビルが異様に曲がって見えます。

横から見るとカーブがよく見えます。
朝鮮半島に動きがありそうということで、このビルのある周辺は警察が特別警戒態勢をとっているようです。

気軽に見学に入れそうな気配ではありませんね。  
タグ :韓国文化院


Posted by ひろかず at 23:58Comments(0)グローバル・ピース

2011年12月02日

クリスマスシーズン


今年もついに師走となってしまいました。
みなさん、やり残したことはありますか。
まだまだ、1ヶ月あります、目標完遂、がんばりましょう。
そして、クリスマスにはいいことがあるでしょう。

家族と過ごす人、恋人と過ごす人、友人と過ごす人、家で独りで過ごす人など、クリスマスの過ごし方は様々。
それぞれいい日でありますように!face01  
タグ :クリスマス


Posted by ひろかず at 23:58Comments(0)グローバル・ピース

2011年08月11日

『シベリアに桜咲くとき』公演 日露SAKURAプロジェクト


シベリアにおける日本人抑留者の生活劇『シベリアに桜咲くとき』の演劇が松本ピカデリーで上映されました。東京、京都、松本と日本では3都市で公演される催しです。日本とロシアの演劇人が協力してこの歴史教科書では未だに詳しく取り上げられない史実を上演することは、日露の善隣友好関係の進展に大きく寄与し、歴史の真相に迫るものです。

57万人もの日本人が、戦後なぜ抑留され、約5年間も強制労働させられたのか。5万5千人もの日本人がシベリアの凍土に消えたといいます。どんな生活を強いられていたのか、そんな中でもロシアの軍曹や女性と日本人抑留者との友情や恋愛もあったというエピソードが描かれていました。

出演者、スタッフ、小岩井実行委員長の挨拶。

美須々丘高校と穂高商業高校の生徒たちからも花束が贈られました。

満州から帰ってきた思い出のあるかたや、実際にシベリアで抑留生活を送っていた方々も観に来られ感慨に浸っていました。
こんな史実があったからこそ、感動の芝居も生まれたといえるでしょう。
日本人がシベリアの開拓に協力したことは事実で、強制的な労働であったことも事実で、無償の理不尽な状況であったと思います。日本の中心の松本の護国神社にシベリア抑留慰安碑が建てられていますが、この運動の中心になった穂苅甲子男さんは、抑留時代、無償であっても朝起きて一日元気に働ける喜びに感謝し、前向きなボランティア精神に目覚めたことで生き延びるきっかけになったといわれていました。
歴史の歯車に巻き込まれ数奇な運命を辿ることも一つの生きた証、経験として受け止め感謝していく、「すべては時とともに到来する」と希望を胸にいきいきと生きていく姿勢が大事なのでしょう。
日本は今、大地震や大津波、飢饉、放射能問題に頭を抱えています。来年の12月までにいろんなことに遭遇すると言われています。天災なのか、人災なのか、よく分かりません。でも、すべてを受け止め、「すべては時とともに到来する」歴史的事件の只中で貴重な経験をさせていただけることに感謝していきましょう。  


Posted by ひろかず at 01:07Comments(0)グローバル・ピース

2011年08月02日

人間万華鏡 カバの赤ちゃん ダンスダンス


これはすごい! 人間万華鏡のダンス。
なんか感動しますね。
日本語のメッセージも出てきます。


ダンスならカバの赤ちゃんも負けてはいません。
観ているだけで涼しくなりますね。  
タグ :ダンス


Posted by ひろかず at 00:06Comments(2)グローバル・ピース

2011年07月28日

核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革


今日は雨です。朝からシトシト、、、。
さて、「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展が『第23回国連軍縮会議in松本』開催記念で、今日から31日まで井上百貨店7Fにて開催されます。
タイムリーな企画ですのでぜひご覧ください。


昨日の準備風景。
広島のような原爆がもし松本中心部に落ちたら、、、というような展示パネルから入ります。
コワッ!face03  

Posted by ひろかず at 08:04Comments(0)グローバル・ピース

2011年06月14日

小松美枝(こまつみえ)さんからのエール

首都大学東京 オープンユニバーシティ小松美枝(こまつみえ) 准教授のHPを紹介いたします。
http://komatsumie.jp/Apr2011.html

関東大震災の前後で、日本の社会は変わった。今回の大震災でも、多数の人の尊い生命が犠牲になり、多数の人々が苦しみ、日本は変わる。日本は良くなる。善良で優秀な日本人たちが努力している日本が、悪くなるはずはない。みんなで協力しあって生きてゆこう。

小松さんは、高校の同窓のお友達ですが、HPにもあるように、弁証法を学んでいらして、どんなことがあろうとしっかりと現実を受け止め、前向きに向上していこうと震災から立ち上がる日本人にエールを送っています。

詩がとても温かくて素敵です。


元気でね

  つらいことがあったんだね

  生きていればいろいろあるさ

  でも 苦しみを上まわる楽しみが必ずあるということを

  忘れないでね


  生きていること自体がプラスなのだから

  プラスは必ずマイナスを上まわる

  途中でマイナスがあっても

  答えは必ずプラスさ


  あなたにも そのうちいいことがある

  今は良くなくても

  そのうちいいことがある

  きっとあるさ


  悪いときもあるけれど

  悪いときばかりじゃない

  いいときも必ずある

  だから 元気をだしてね




朝は必ず来る  朝の来ない夜はない

 
  朝は必ず来る


  夜は暗い

  夜明け前はさらに暗い

  朝は必ず来る


  夜の暗さを知る人が

  昼の光のありがたさを思う




今を生きる  今を生きることです


  良い生き方をしている人は

  今 何をすればいいかをわかっています

  順調な人は

  今すべきことをしています


  今を生きている人に不幸な人はいません

  たとえ病気でもお金がなくても

  苦しい立場でも

  今このときを生きていれば

  不幸ではないのです


  今を生きてください

  過去を悔むのでも

  未来を心配するのでもなく

  今を生きるのです



小松美枝詩集『野ばらよ永遠に 魂の現象学第3集』一穂社より


私のブログを小松准教授にリンクしていただきました。
有難うございます。
つたないブログなのに関わらず、なんとなく価値をあげていただいたようで嬉しいです。face01

  
タグ :小松美枝


Posted by ひろかず at 20:27Comments(0)グローバル・ピース

2011年05月11日

ウサマ・ビン・ラディン 死してなお世界の注目!


国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の指導者ウサマ・ビンラディン(Osama Bin Laden)容疑者が米特殊部隊に殺害されたとのニュースが世界を駆けめぐった2日、イタリア・ナポリ(Naples)では早速、ビンラディン容疑者の頭部を得意げに掲げるバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領のフィギュアが登場した。
この粘土製のフィギュアは、もともとはキリストの降誕のフィギュアを製作し、数年前から現代的なテーマを模索するようになった職人集団が製作したもの。オバマ大統領はにこやかにVサインをしており、ビンラディン容疑者も心なしかほほ笑んでいる。

それにしても早過ぎない?


「TIME」表紙。死せるウサマ生けるオバマを走らす?
たとえ、10年前に死んでいても、、、。

以下 「逝きし世の面影」ブログより転載 2011年05月10日
米特殊部隊ビン・ラディン謀殺、真相と動機を考察する

アフガン戦争とは9・11事件の犯人としてビン・ラディン一人を拘束(殺害)する目的で始められたアメリカによる報復目的の戦争である。ビン・ラディン一人を殺害するアフガン報復戦争のために、無実の無関係なアフガン人が何十万人も殺されたのです。
目的の『報復』が達成されたら、これ以上アメリカ軍やNATO軍などの外国軍にはアフガンに留まる、そもそもの根拠が無くなる。カルザイ大統領でもタリバンでも誰でもですが、アフガニスタン人は例外なく、外国軍のアメリカ軍に戦争を止めて欲しいのです。
私としては、現地のパキスタン人の多くが信じている様に既に大分前に死んでいたか、生きているとしたらビン・ラディンは不便なパキスタン辺境トラバルト地域ではなくて、とっくの昔にヒゲをそり落としてアメリカのマイアミの保養地にでもいて、優雅に暮らしている可能性が十分にあると思っています。
マスコミの言うところの『テロリスト』の死が何かの役に立つとしたらですが、
ビン・ラディンは元々アメリカ情報機関の支援の下で、有り余る財力を使った対ソ連用のテロ活動に対して財政支援していただけであり、自分自身が戦闘していた訳ではないのです。
又アメリカとしても折角大変な努力で作り上げたエージェントを無駄にはしないでしょう。
訓練された米軍特殊部隊員がわざと顔面を傷つけて一目では誰であるかが判らない様に下手糞に殺して仕舞った原因とは、間違ったのではなくて予定(命令)どうりであった可能性が高いでしょう。
アメリカでは大統領が敗戦を認めて撤兵することは有り得ないのです。どれ程の負け戦であれ必ず『勝ったので撤兵する』との口実が無いと朝鮮戦争のトルーマンの様に史上最低の大統領とされるか、それともベトナム戦争のニクソンのように弾劾の危険性さえ生まれてくる。
オバマ大統領としては『いかに胡散臭く見え』ようと、ハリウッドの三文アクション映画の場面の再現(ウサマ・ビンラディンの死)が如何しても絶対に必要不可欠であった。
アメリカにとっての戦争とは、必ず最後に悪党の敵の親玉(ボス)を倒さないとゲームが終わらないコンピューターゲーム(ロールプレイングゲーム)と同じなのです。

『アメリカの大型公共事業としての戦争』
アメリカはパキスタンの首都近郊でオサマ・ビンラディンを殺害し、9・11事件の全ての謎を封印して、全ての責任をインチキ臭いアルカイダとオサマ・ビンラディンに擦り付けて、幕引きする作戦のようです。
この報道ですが、間違いなく今年7月のアフガン撤兵の為の印象操作の一環であり、オバマは本気で10年続いたアフガニスタンの不思議な戦争を止める決心をつけています。
アメリカにとっての戦争とは、意味無く無駄に道に穴を掘って又埋めても金が回ればそれでも良いとする、ケインズ学説の日本の無駄に大きい箱物造りの公共事業と同じ種類のもので、これで一定の経済回復を行っていたのです。
しかし、日本の公共事業が結果的には日本経済の弱体化を招いたのと同じ様に、アメリカの公共事業(戦争経済)も同じで、やっぱりアメリカ経済の弱体化は避けれませんでした。
このアメリカの戦争による経済復興は第二次世界大戦までは、ことごとく成功していたのです。
特に二度にわたる世界大戦の結果、それまで覇権を握っていた英仏独の欧州は弱体化しました。
戦争のお蔭で、アメリカが超大国に成れたのです。
日本は日清日露の成功体験の結果が災いして、その後大失敗して帝国が滅亡するのですが、これと同じでアメリカも今までのこの成功体験が災いしています。
アメリカは今まで戦争に勝って大成功したものだから戦争で酷い目にあった欧州諸国など他国とは大違いで程度外れた好戦的な態度なのです。
ところがアメリカを超大国にしたのも『戦争』なら、成功体験に奢ってアメリカを腐敗させ堕落させたのも矢張り『戦争』だったとは皮肉なものです。1945年の大戦終結後、アメリカの戦争は勝ち負けに係わらず全てが経済的にはマイナスになり、一度もプラスになっていません。
勝ち戦でもそうなのですから、ましてやイラクやアフガンの負け戦なら損害は計り知れません。
アメリカ軍の威信も無くなり、アメリカ経済崩壊すれば、アメリカ型の強欲資本主義も終焉するでしょう。
我々一人ひとりは今、150年前の幕末とか66年前の帝国の崩壊とかの根本的な価値観の変換を伴う世界的な激動期、歴史的な転換期を目撃出来るかもしれません。

以上転載


狙いが、そういうことであれば、ウサマにはやはり死んでもらわねばなりませんでしたね。
たとえ10年前に死んでいたにしても、もう一度死んでもらわねばなりません。icon10
DNA鑑定書は未だに公開されません。家族とか、親類など髪の毛を抜いたりして調べるのに時間がかかるのでしょう。
でも、殺害したあとDNA鑑定して本人確認したのではないですか?すぐ証拠として出せるデータのはずです。
本当は、DNA鑑定して本人確認した後、殺害するという順番でないと人違いの場合取り返しがつかないはずですがね。
オバマ大統領が中継で見ていたという40分の映像をまず証拠として公開してもいいと思います。
押収したビデオなどでごまかしてもダメです。
えっ、いまハリウッドで制作中ですって、、、?
ウサマ役は、オバマ大統領が黒いひげをつけて登場!
出来ばえを期待しています。face08  


Posted by ひろかず at 01:04Comments(2)グローバル・ピース

2011年05月08日

ビン・ラディン 流出遺体写真?


ビン・ラディン 流出遺体写真?

オバマ米大統領は4日、米特殊部隊が殺害した国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)の遺体の写真を公表しないことを決めたということですが、上の写真が流出していると話題になっています。まさか、公表を控えたのはこの写真のことでしょうか。

狙撃チームはほとんどの場合顔を知られないようにする為のマスクを付け、またヘルメットをかぶっているのが普通なのですが、この手前の男性は、顔が丸見えです。テロの仲間が生き残っていて、逆襲して攻められたらイチコロです。また、殺害グループとしてテロのターゲットになります。
と、考えるとこの写真もとても怪しいですね。



ビンラディン容疑者殺害 米の情報発表に危うさ 世論誘導狙う?
(西日本新聞)

【ワシントン宮崎昌治】国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害で、オバマ米政権は当初公表した情報を次々と訂正している。
それによると、米中央情報局(CIA)は同容疑者を世話する兄弟に目を付け、4年前から追跡。100万ドル(約8千万円)の資産価値がある潜伏先の邸宅を発見した。銃撃戦では同容疑者側と交戦、同容疑者は妻を盾にして隠れたが、最後は抵抗したため頭を撃ち殺害。妻も死亡した、とされた
他のテロリストには「自爆」を呼び掛けながら自らは大邸宅に住み、死が迫ると妻を盾とする人間で、殺害は正当防衛でやむを得なかった-。こうしたストーリーが印象付けられたといえる。
だが、米政府は同容疑者が殺害時に武装しておらず、妻を盾にもしていなかったと3日訂正した
また、100万ドルの価値とされた邸宅だが、AP通信によると、土地に限れば2004、5年当時の売買記録で4万8千ドル(約400万円)。建物も「ぜいたくな邸宅」とは言い難い
新情報がすべて事実とすれば、当初の印象とはかなり異なる。特に、丸腰の相手を殺害する行為は正当化されるのか
米メディアは5日、同容疑者の部屋には自動小銃AK-47と拳銃マカロフがあったと報じている。ただ、同容疑者は頭のほか胸も撃たれていた。「胸で止め、頭で殺す」のが特殊部隊の銃撃法といい、冷静さがうかがえる。同時に銃撃された妻は足を撃たれたため、死亡していない。このため、最初から「殺害目的の任務」だった疑いが浮かんでいた。
祝賀ムードに沸く米国で「殺害の是非」は今のところ大きな議論となっていない。殺害により、裁判の場でビンラディン容疑者に「9・11」テロの真相※をただす機会が永遠に封じられてしまったことは間違いない
=2011/05/07付 西日本新聞朝刊より抜粋引用=

※「9・11」テロの真相=米国の自作自演によるものであったという疑いがもたれています。それが事実であれば、ビンラディンは、その役者の一人として重要な証人でした。



殺害発表当初、公式に堂々と(NHK等日本のメディアでも)使われていた遺体ニュース写真。
デタラメの合成写真であることが後から指摘され、それこそイタイ。face03
指摘を受けなければ、そのまま平気でこの写真で通すつもりであったと思われます。

ビンラディン容疑者殺害:米政権の説明にぶれ 不自然さも
(毎日新聞)

【ワシントン白戸圭一】オバマ大統領は6日夜(日本時間7日朝)放映の米CBSテレビのインタビューで、ビンラディン容疑者を殺害した場合、「どのように遺体を処理するかを事前に考えておくことが重要だと思った」と発言。作戦前にイスラム法の専門家らに相談して水葬に付す方針を決めていたことを明らかにし、「我々は適切に処理した」と強調した。
遺体の扱いを巡っては、ブレナー大統領補佐官(対テロ担当)が2日の記者会見で「複数の(イスラム教の)専門家に相談し、全員が海に葬ることに賛成した」と述べていた。だが、土葬が常識のイスラム社会では海へ葬ったことへの反発が強まっており、墓所がテロリストの「聖地」になることを懸念した政権の作為が疑われている。
一方、ビンラディン容疑者殺害の状況について、ブレナー補佐官は2日の会見で「抵抗しなければ生きたまま拘束する準備をしていた」と述べたうえで、同容疑者が「銃撃戦に加わっていた」と明言した。ところが、カーニー大統領報道官は翌3日の会見で、同容疑者は「武装していなかった」と発言。「他に武装した人物が多数おり、銃撃戦が発生した」と釈明し、殺害を正当化した。
しかし、各国メディアによるパキスタンでの取材などで、米特殊部隊が一方的に容疑者を殺害した疑いが浮上。米NBCテレビは5日、米政府高官の話として、部隊の任務は当初から「殺害」だったと伝えた。NBCによると、部隊が潜伏先の建物を急襲した際、ビンラディン容疑者側で発砲したのは1人だけだったという。
(毎日新聞jpニュースより引用)

ビンラディン殺害は 嘘?!コラ写真である事が判明
公式に使われていた写真がウソ(最初からニュースで使われている写真が間違いであることを自ら否定していないで、外部から指摘があって初めて認めたのである)であって、最後には、証拠としての本当の写真を公開しないことに決めた、という詭弁で納得するとでも思っているのでしょうか。いずれにしても、幼稚すぎます。米国はここまで国家としてばればれのインチキをどうどうとよく出来ますね。我々が、もし証拠として求めるなら、写真ではありません。写真は、今回のように合成やダミー(替え玉)でいくらでも作れます。証拠として、提出すべきはDNA鑑定書です。本当にビン・ラディンを今回殺したというなら、DNA鑑定データの記録書を公式に発表すべきです。実に科学的な証拠です。半日で本人と確認した証拠の提出を求めます。殺害写真などは全く興味も意味もありません。写真を証拠に出すかどうか検討していたこと自体ナンセンスです。



ビンラディン死亡 【衝撃】合成写真


以下ビンラディンは、10年前に死んでいたという映像です。

ビン・ラ-ディンは2001年に死亡 Part1

ビン・ラ-ディンは2001年に死亡 Part2

キリストのように蘇えっていたのかもしれませんね。
そのうち、今度は殺害を命じたオバマ大統領の枕元で、また蘇えることでしょう。
ワシが、ウソマだ!と。

ビンラディン死亡 【衝撃】オサマとオバマ
これは、お笑いですが、妙にそっくりですね。
実は、一人二役?
そう言えば、オバマ・ビン・ラディンが死んだと間違えて(揶揄?)報道していたメディアもあったらしいですね。face10
Obama Bin Laden, Yes OBAMA BIN LADEN, Plastered on the Yahoo Homepage

クリック↑拡大できます。

同時多発テロはヤラセだよ!
今回のことが(ビン・ラディンが本物であったかどうか)証明できなければ、やはりヤラセとしか言いようがありませんね。


  


Posted by ひろかず at 00:15Comments(0)グローバル・ピース

2011年05月07日

原村 八ヶ岳自然文化園 はやぶさの帰還上映会


八ヶ岳自然文化園で展示中です。
国際宇宙ステーション日本の実験棟「きぼう」に納める保管室の実物大モデル。実際に中に入って、宇宙体感を楽しめます。

「はやぶさHAYABUSA帰還バージョン」45分番組 全天周ドーム映像で上映していました。
ブログで取り上げたばかりなので、ちょうど観たかった映像でタイミングよく嬉しかったです。

→前出記事:はやぶさ 世界で一番の『はじめてのおつかい』の意味

2010年6月、幾多の困難を乗り越え7年の歳月をかけ小惑星「イトカワ」の岩石を採取し地球に無事帰還するという波乱に満ちた旅が大きな話題となりました。その困難な状況にも負けず最後まであきらめないで挑戦し続ける姿が本物と見間違えるほどの繊細なCGで見事に描かれています。
上映案内パンフpdf

子供たちもはやぶさと宇宙旅行した気分で感動していました。

はやぶさの5分の1模型。

中央の丸いところがカプセルになっていて、イトカワの石を持ち帰る入れ物。

これが、はやぶさが命がけのはじめてのおつかいで持ち帰ったカンラン石の原石。
案外大きいですね。


隕石とか宇宙の石は、人口放射能の波動に打ち勝つとか宇野正美先生の講演で聞きましたが本当でしょうか。

しっかり写真に撮っておきましょう。

はやぶさを打ち上げたロケットの模型なども展示されています。

日本の宇宙飛行士たちからのメッセージボード。
世界最前線の情報、宇宙から地球を見てきた宇宙飛行士たちは、すべてを知っているのですね。
勇気を与えてくれますね。  


Posted by ひろかず at 00:21Comments(0)グローバル・ピース

2011年05月06日

ビン・ラディンの死は10年前 米国のプロパガンダ?


アメリカ・シカゴのラジオパソナリティ、ステファン・ランドマン氏は、国際テロ組織アルカイダの指導者、ウサマ・ビン・ラディンは10年前に死亡したと考えています。ランドマン氏は、4日水曜、プレスTVのインタビューで、「ビンラディンの殺害方法に関するアメリカのメディアの報道は偽りだ。なぜなら彼は2001年に死亡しているからだ」と語りました。また、「ビンラディンの死は嘘の物語で、アメリカ政府のプロパガンダに過ぎない」としました。アメリカのオバマ大統領は、1日日曜、テレビで、パキスタンでのアメリカの特殊部隊の作戦でビンラディンが殺害されたことを明らかにしました。(イランラジオニュースより)


以下毎日新聞社jpニュースより

ビンラディン容疑者殺害:信じられない…いぶかる住民ら

ビンラディン容疑者が殺害された家屋があるベラール地区への立ち入りを規制する警察官=パキスタン北部アボッダバードで2011年5月4日午後、西尾英之撮影 2日に米軍部隊に暗殺された国際テロ組織アルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン容疑者の潜伏地とされた、パキスタン北部アボッダバード。4日に現地入りすると、パキスタン軍が隠れ家の周囲を封鎖し、検証していた。米側は殺害理由を「抵抗したため」としているが、容疑者は丸腰だった。住民たちは容疑者の潜伏と殺害について多くの疑問を口にし、専門家は数々の国際法上の問題点を指摘した。
◇「殺されたのは本物なのか」
「平和な高原都市のこの町に、ビンラディンが潜んでいたなんて信じられない」
パキスタンの首都イスラマバードから車で約2時間。米軍の軍事作戦で殺されたビンラディン容疑者の潜伏先だったアボッダバードの住民が口をそろえた。容疑者が潜んでいたとされる住宅は、パキスタン軍士官学校のすぐ近く。
軍部は本当に容疑者の潜伏を知らなかったのか」「なぜ遺体の写真が公開されないのか」「殺されたのは本物か」。地元民たちは声を潜めて語った。
潜伏先の家屋があるベラール地区の入り口。「居住者以外は通さないよう軍に厳命されている」と警官が制止した。許可を受けて入ると、パキスタン軍がこの日早朝から、潜伏先の家屋で大規模な家宅捜索を行っていた。
周囲には約200軒の裕福な家々。ビンラディン容疑者が潜み、殺害されたとされる家屋は地区の最奥。ジャガイモやグリーンピースの畑が広がる中の一軒家だった。
周囲の家屋との違いは広い敷地と約5メートルの高い外壁。外壁上にはぐるりと鉄条網。しかし地元住民は「自宅を堅固な外壁で守るのは山間部の住民の伝統。金があれば広い家は建てられるし、それだけで不自然とはならない」と話した。
近所の商店主によると、この家には2人の兄弟と妻、4、5人の子供が生活していた。家族は買い物の際には言葉はパキスタンの共通語のウルドゥー語を話していたという。容疑者らしき人物は誰もが「見たことない」と口をそろえた。
別の住民は当日の模様について「突然夜中にヘリコプターが飛来し、銃撃音が聞こえた。一方的に撃ったのみで、交戦にはなっていない。時間も15分程度」と証言した。
警察幹部は、殺害作戦が実行される前兆は「一切なかった」と首を振った。しかし、芝生が美しく整備された軍士官学校のゲート方向を指さしながら、「あの中で何が行われているかは市民にはわからない。内部情報は外には出てこない」。
◇パキスタン軍「城下町」で
高原都市アボッダバードは植民地時代、大英帝国軍が拠点として開いた町。1947年の独立後に引き継いだパキスタン軍は、エリート養成機関となる士官学校を設立した。軍や軍情報機関(ISI)幹部の多くがここで学び、退役した元幹部が多く移り住む軍の「城下町」だ。
その軍にとって「特別な土地」であるアボッダバードで、かつてはアフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍に対抗して事実上の共同戦線を張ったこともあるビンラディン容疑者が潜伏していたとすれば、軍が「把握していなかった」と言われて妄信する国民はいない。
そもそも住民間には「遺体はすぐに水葬され写真も公表されていない。なぜイラクのサダム・フセインの時のようにその証拠が公開されないのか」といぶかる声が圧倒的だ。
しかし、軍の動向に詳しいパキスタン人記者は「01年以降、アルカイダは幹部やメンバーを米国の同盟軍に転じたパキスタン軍に拘束され、パキスタンを信じていなかった」と話し、軍部が容疑者をかくまっていた、見過ごしていたとの見方には否定的だ。元パキスタン軍幹部も「パキスタンが拘束し、米側に引き渡したアルカイダメンバーは500人超」と語り、軍部隠匿説を一笑に付した。
それだけに「ビンラディンはすでに死んでいて、殺害劇はでっちあげだったのではないか」という臆測も飛び交っている。明白な事実は、容疑者の口が封じられたことで、米やパキスタン側の発表を疑う人々を納得させる検証作業は困難になったということだ。【アボッダバード(パキスタン北西部)西尾英之】
以上


今回殺害したのが本当にビン・ラディンでないとしたら、9.11もすべてウソで、米国が国家を挙げて大量殺戮した事件ということになりますね。証明できるのでしょうか。死体写真すら公開できない状態です。公開したにしても、ホントかどうかの証明には全くなりませんね。そっくりさんがいて、替わりに本人でない人が間違いで殺されたのなら、気の毒ですね。
  


Posted by ひろかず at 23:00Comments(0)グローバル・ピース

2011年05月06日

政府、浜岡原発の全原子炉の運転停止を要請!

(ウォールストリートジャーナルよりニュース)
政府は6日、中部電力に対し、静岡県の浜岡原子力発電所のすべての原子炉を停止するよう要請したと発表した。

浜岡原子力発電所

浜岡原発では、現在、4号機と5号機が運転中。菅直人首相は記者会見で、国民の「安全と安心を考えた」措置であるとし、万一、同原発で事故が起きた場合の甚大な影響を考慮したと述べた。
首相は、文部科学省・地震調査研究推進本部によると、今後30年以内にマグニチュード8程度の東海地震が発生する可能性は87%と切迫した状態にあるとした。
以上


ついに、政府が動いてくれました。菅総理有難うございました。快挙です!
上のグラフを見てもわかるとおり、浜岡原発なしでも夏場を乗り切ることが可能です。
あとは、完全安全停止までに地震津波が来ないことを願います。
  
タグ :浜岡原発


Posted by ひろかず at 22:30Comments(0)グローバル・ピース

2011年05月03日

ビン・ラディン殺害 米国のウソ報道の可能性が大きい?



ウサマ・ビン・ラディン殺害は、ビッグニュースでしたが、この件に関し、意外な見方の記事がありましたので、以下「宇宙規模で起こる金融ショック L」ブログより転載します。
米国のウソ報道の可能性が大きい

ウサマ・ビンラディン容疑者をパキスタンで殺害したと突然発表した。
殺害場所はパキスタンの首都イスラマバード近郊だという。

この発表で前米大統領も声明で、“ 米同時多発テロで愛する者を失った全ての人びとにとっての勝利だ ”とメッセージを発表した。

私はいつも通り、またしても米国の自作自演の可能性が強いなと感じた。 拘束ではなく殺害したとなれば、その後の証拠は一切はなくなる。 それだけではない。 ビンラディンは米国CIAのスパイであるという常識は、もはや世界中が認めていることである。
ビンラディンは米国の前大統領や、元大統領が経営している企業と深いつながりがあった。サウジアラビア出身というが、アフガニスタンに隠れていて、身柄の引き渡しをしなかったから戦争した. という米国側の屁理屈を誰が信じようか?
このようなことについて3日前にブログ(アルカイーダ 米国が生んだCIAの組織 首謀者)に書いたばかりだが、 丸でこれに追い打ちをかけるかのように今回の報道が走った。
(相撲の八百長問題もそうだが、またしても数日後に的中した)

殺害された場所がイスラマバード郊外の自宅だというが、これが本当だと したら、10年間近くも時間がかかってしまったこと自体不思議だ。 そもそも国際指名手配犯が、わざわざ首都近郊まで身内と一緒にシャシャリ 出てくるだろうか? 米国はついに今年、アフガンから駐留米軍を撤退させることを予定しているが、 まるで有終の美を飾るかのように、タイミングを狙った出来話のような感じでならない。

その後はNHKや民放でもビンラディン殺害のニュースが流れた。
他国からの反響報道も伝えたのだが、これがまたどうも腑に落ちない。
伝えたのは英国と豪州である。 いずれも米国と仲の良い国だ。
つまりこういった国の首脳が、否定的な発言なんてするわけなかろう。
東側諸国はもちろん、ドイツやフランスといった国のコメントはまだない。
もしかしたら、“ またか~ ” というように、米国の報道について懐疑的な思いを持っているのかもしれない。
コメントするのが馬鹿馬鹿しいとでも感じているのだろう。

もし本当に組織と銃撃戦の末、殺害したということなら理解できる。
相手が攻撃してきたわけだから、自分の身を守ることは当然だ。
しかしその後、信じられない情報が出てきた。
ナント、遺体を海まで運んで流したというのだ。
なぜそんなに早く処理しなければならないのか?
ウソでもいいから遺体を映像に流してもいいはずだろう。
見られてマズいことでもあるのか?
さらに流した場所であるが、そもそも殺害したといわれるイスラマバードの周辺には海なんてない。
なぜたった一日で遺体を海まで運んで流したのか?
普通では理解不能なことがどんどん報道されている。


読者の方はもうおわかりだろう。
またしても米国による捏造報道が世界を駆け巡ってしまったのである。
まともに考えるから自身がどんどん迷走してしまう。
過去のブログでも書きましたが、普通に考えておかしいと思えば、それは
間違いなくおかしいのです。
米国としては無理やりこのアフガン問題を終了させたいのだ。
そしてウサマ・ビンラディンは米国CIAで保護されることになった。
似たような話だが、ウィキリークスの創業者が欧州で拘束されたのではなく、米国の手に渡らないように 「保護」 されたというものと同じだ。


全国の皆さん、マスコミや米国の発表に騙されてはいけません。

以上です。



皆さん、どう思われますか。
怪しいといえば、怪しいですね。
軍産一体型の米国のやることですから、裏があると考えた方が分かりやすいですね。
いずれにしても、ビン・ラディンは、9.11の首謀者ではないと自分で言っているのですから、いきなり殺すことは変ですね。
フセインも、捕まってから、、、そういえばどうなったんでしょう。
結局、大量破壊兵器なかったのに、殺されたんでしょうか。
あのイラク戦争こそ、米国の大量殺戮犯罪です。
日本に原爆を落としたことですら、今でも謝らない国のことを誰が信じられましょうか。
  


Posted by ひろかず at 01:38Comments(0)グローバル・ピース

2011年05月03日

ウサマ・ビン・ラディン氏 ヘリで急襲殺害!?



【ワシントン時事】
国際テロ組織アルカイダの首領ウサマ・ビンラディン容疑者殺害で、米中央情報局(CIA)や国防総省の情報機関は2001年の同時テロから約10年にわたる執念の追跡により昨年8月にパキスタンのビンラディン容疑者潜伏先に関する情報をつかみ、その豪邸をヘリコプターで急襲したことが2日分かった。米政権高官が明らかにした。オバマ大統領は4月29日朝、米軍特殊部隊による極秘作戦の最終的な命令を出していた。
米高官はビンラディン容疑者が潜んでいた邸宅と急襲作戦に関する情報は「パキスタンを含めどの国とも共有せず、知っていたのは米政権でもごく少人数だった」と語った。さらに「ビンラディン容疑者がパキスタン内部にいたことを非常に懸念する」とも語り、パキスタン当局の警戒の甘さを指摘した。米メディアによると、豪邸の近くにはパキスタン軍の士官学校もある。
CIAは数年間かけてビンラディン容疑者が厚い信頼を置く側近を追跡。4年前に身元を割り出し、昨年8月にパキスタンの首都イスラマバードから約56キロ北方のアボタバードの居場所を特定した。CIAは同9月、ビンラディン容疑者が側近と一緒に住んでいる可能性があるとみて情報収集を進め、今年2月中旬、オバマ大統領を含むホワイトハウス指導部は、同容疑者がこの邸宅に潜んでいるとの情報は確度が高いと判断した。
邸宅は2005年に建築されたもので、周囲の家より約8倍広く、100万ドル(約8100万円)の価値があるという。主要住居とみられる3階建ての家にはほとんど窓がなく、高さ3~5メートルの壁やワイヤに囲まれていた。邸宅に至るまで2カ所の検問所があり、厳重な警備が敷かれていた。(2011/05/02-20:38)

ということで、ウサマ・ビンラディン氏は、殺害されたそうです。
おめでとうございます。
と言いたいところですが、殺害の容疑があいまいですね
下記のサイトで、FBIは指名手配理由に9.11をのせていません

ニュースアーカイブより
FBI『重要指名手配犯』リストでビン・ラディンに同時多発テロ容疑の記載なし2001年10月 1日 Robin Clewley 

9月11日(米国時間)、4機の旅客機をハイジャックして同時多発テロを引き起こした実行犯のテロリストたち。身元が判明するやいなや、顔写真が世界中の新聞や雑誌やテレビなどのメディアにあふれた。
ブッシュ米大統領は、オサマ・ビン・ラディン氏が同時多発テロ事件の背後にいた証拠があると述べている。したがって、米連邦捜査局(FBI)がウェブページの『10大重要指名手配犯』リストにビン・ラディン氏(写真)の情報を掲載しているのも当然のように見える。

だが、ちょっと待ってほしい。

ビン・ラディン氏がこのリストに入れられたのは、1998年に起きたタンザニアとケニアにおける米国大使館同時爆破事件の犯人としてだ。同じくビン・ラディン氏が黒幕として関与したと広く信じられている、1993年の世界貿易センター爆破事件や2000年10月の米海軍駆逐艦『コール』爆破事件についてはまったく言及されていない。もちろん、9月11日の同時多発テロについても一言もない

なぜだろう。指名手配リストに載せられるのは、正式に犯罪者として告発された場合に限られており、ニューヨークとワシントンのテロ事件に関しては、ビン・ラディン氏はまだ関与が疑われているに過ぎないからだ。

「あのテロ事件に関与した人物を実際に告発するまでには、かなりの時間が必要となるだろう」と、重要指名手配犯に関するFBIの広報責任者で、どの指名手配犯をリストに掲載するかの決定にも関わるレックス・トゥーム氏は言う。「犯罪者として告発するということは、容疑事実が間違いでないという確たる証拠を捜査当局がつかみ、検察側が事件を立件すると言明したことを意味するのだ」

元米中央情報局(CIA)職員で、1989年から1993年にかけては米国務省テロ対策局次長を務めた、ラリー・C・ジョンソン氏は12日、全米公共テレビ放送網(PBS)のオンライン・ニュースサイト『フロントライン』のインタビューに応じ、ビン・ラディン氏が駆逐艦コール爆破事件と1993年の世界貿易センター爆破事件の首謀者であることを示す具体的な証拠はないと断りつつも、同氏が両事件を賞賛し、実行犯への支持を表明していることを指摘した。

ブッシュ大統領は、世界貿易センターと国防総省にハイジャック機で突入して自爆したテロリストたちとビン・ラディン氏との関係を示す証拠を明らかにすると公約している。だが、ビン・ラディン氏は自爆テロリストたちの行為を褒め称える声明を発表したものの、自らの直接的な関与は否定している

FBIの指名手配リストは、指名手配犯に対して一般の注意を喚起するためのものなので、リストの作成には事前に慎重な判断が要求されるとトゥーム氏は言う。FBIがもっとも留意するのは、公開することが捜査に役立つか、妨げになるかという点だ。

10大重要指名手配犯リストが最初に作られたのは1950年に遡る。FBIが追跡中の事件の中でいちばん厄介だと考える犯人の氏名や人相などの情報を知りたいと考えた、インターナショナル・ニュース・サービス社――合同国際通信社(UPI)の前身――の記者の提案がきっかけだった。当時のエドガー・フーバーFBI長官が、作成した指名手配リストの持つ訴求力の強さとパブリシティ効果に注目し、10大重要指名手配犯プロジェクトに発展させたという。

1人の指名手配犯がリストに掲載される期間は平均して1年ほどだ。これまで同リストに載った466人のうち、139人が一般市民の直接協力によって逮捕されたとトゥーム氏は言う。FBIがウェブサイトを開設してからは、10大重要指名手配犯のうちの1人、その他の犯罪者の13人が、同サイトに載っていた情報をもとに逮捕されている。トゥーム氏によれば、このリストのページはFBIのサイトの中で最も人気が高く、1ヵ月あたり250万ヒットを記録しているという。

[日本語版:中沢 滋/小林理子]
WIRED NEWS 原文(English)

911の首謀者はビンラディンでは無いと認める、ペリーノ報道官(米)


以下ウサマ・ビンラディンの指名手配書です。
http://www.fbi.gov/wanted/topten/
本人が亡くなったのでまもなくリストから消されてしまいますので記録しておきます。
本日でも下記の通り英文で書かれています。


USAMA BIN LADEN

Murder of U.S. Nationals Outside the United States; Conspiracy to Murder U.S. Nationals Outside the United States; Attack on a Federal Facility Resulting in Death

REWARD: The Rewards For Justice Program, United States Department of State, is offering a reward of up to $25 million for information leading directly to the apprehension or conviction of Usama Bin Laden. An additional $2 million is being offered through a program developed and funded by the Airline Pilots Association and the Air Transport Association.

Usama Bin Laden is wanted in connection with the August 7, 1998, bombings of the United States Embassies in Dar es Salaam, Tanzania, and Nairobi, Kenya. These attacks killed over 200 people. In addition, Bin Laden is a suspect in other terrorist attacks throughout the world.

Bin Laden is the leader of a terrorist organization known as Al-Qaeda, "The Base". He is left-handed and walks with a cane.

Date(s) of Birth Used: 1957 Hair: Brown
Place of Birth: Saudi Arabia Eyes: Brown
Height: 6' 4" to 6' 6" Complexion: Olive
Weight: Approximately 160 pounds Sex: Male
Build: Thin
Occupation: Unknown
Nationality: Saudi Arabian


すでに死んでいたという記事(下記)もだいぶ前に読みました。
真偽は、如何?

2011年04月26日ロストワールド Season2.3記事
ビンラディンは死んでいる。
Report: Bin Laden Already Dead
レポート:すでに死んだビンラディン
2001年12月26日水曜日
http://www.foxnews.com/story/0,2933,41576,00.html

ウサマ・ビンラディンは未治療の肺の合併症により大往生になって死んだと、パキスタン・オブザーバーが報じました。そしてアルカイダ・リーダーの葬式に参列したタリバン・リーダーの主張を引用しました。
『連合軍はおかしな捜索活動に携わっている。だが、彼らは決してウサマを生きたままか、死んで捕まえる、彼らが大事にしてきたゴールを叶えることはできない』と、その情報源は言います。
情報源によるとビンラディンは、トラボラ山付近で深刻な肺の合併症で苦しみ、12月中旬に病気に屈したようです。情報源はビンラディンが、彼が最後に過ごした住居で立派に埋葬されたと主張しました。そして彼の墓は、彼のワッハーブ派の信念に従って作られました。(後略)


元大統領ブッシュとウサマ・ビン・ラディンは1つのファミリーであるという記事(下記)もあります。
お仲間ですかね。よく分かりませんね、こうなると。

現大統領ブッシュとウサマ・ビン・ラディンは1つのファミリーである

1. かねてから麻薬資金洗浄で悪名高いパキスタンの銀行、BCCIの経営者カーリド・ビン・マフーズの妹がビン・ラディンの妻である事、また、この銀行が「テロリスト」ウサマ・ビン・ラディンとアルカイダに資金提供してきた事、等が報道されてきた。
しかし、マフーズの経営するもう1つの銀行、サウジアラビア最古の銀行、国立商業銀行NCBがビン・ラディンの経営する複数の組織に、20億ドルを超える多額の資金援助を行っている事が判明した。送金先の組織は、「形だけの傀儡組織」であり、理事、取締役にビン・ラディンが名を連ねている。
組織名は、英国の慈善組織「国際開発財団IDF」、スーダンの慈善組織「ブレスト・リリース」、サウジアラビアの慈善組織「ムワファック・ファンデーション」、「サウジ・スーダン銀行」、「サウジ・エコノミック・ディベロップメント社」、「アル・ハリージャ・フォー・エクスポート・プロモーション・アンド・マーケティング社」である。どうやらビン・ラディンの最大の資金源がマフーズである事が明らかになりつつある。


2. しかし、テロ組織アルカイダの資金源であるマフーズは、同時にカーライル社の経営顧問でもある。カーライルは父ブッシュの経営する軍事産業専門の投資会社であり、取締役には子ブッシュの欧州特使ジェームス・ベーカー、父ブッシュの経営するゼネコン、ベクテル社社長フランク・カールッチ、父ブッシュの行政管理予算局局長リチャード・ダーマン、父ブッシュの大統領首席補佐官ジョン・スヌヌが名を連ねている。
テロリスト、ビン・ラディンの資金元がブッシュ一族のビジネス・パートナー、マフーズである事は、もはや言い訳が効かない事態になって来ている。


3. さらに、現大統領ブッシュの経営する石油会社ハーケンは、87年経営難に陥り破産しかかるが、その時多額の資金提供を行い、大統領を破産から救ったのが、このマフーズだった。
現在もハーケンの11.5%の株を持つ大株主が、このマフーズである。
テロリスト、ウサマ・ビン・ラディンとテロ組織アルカイダと、現大統領ブッシュの経営するハーケン社が、同一の資金源によって成り立っている事は何を意味するのか?

※出典:「米国証券監視委員会SEC内部文書ファイルNO-13D 1987.12.3」作成。



さらに、姪がセクシー歌手としてデビューしていたなんて、なにがなんやら、、、、icon10

ビンラディン容疑者の姪、ドゥフールさん
米リアリティー番組に登場!!
2006.3.15CNN

米同時多発テロの首謀者で、国際テロ組織アルカイダの最高指導者オサマ・ビンラディン容疑者の姪(めい)に当たる、ワファ・ドゥフールさんが自らの日常生活や歌手を目指す努力を描いた米国のリアリティー・テレビ番組に登場することになった。
出演契約を交わした声明の中で、ドゥフールさんは「人々が私の名前を聞いた時、ある感情を抱くのは知っている。しかし、私は米国生まれであり、この国を愛している」と語った。番組の放映時期などは不明。
カリフォルニア州生まれだが、3歳から10歳まではサウジアラビアに居住。米コロンビア大学で法律を学び、現在はニューヨークで歌手を目指している。ドゥフールさんは、ビンラディン容疑者の異母兄弟の娘。2001年9月の米同時テロ後、母親の名前を使い、改名した。
父親は2001年にスイス国籍を取得。ビンラディン容疑者の行動を非難し、自分の名前も同容疑者とは異なる「ビンラディン」のスペルにしている。同時テロ発生のニュースは母親が住むスイス・ジュネーブで知り、「泣き叫んだ」という。イスラム原理主義者とは「デート」しない、とも言い切っている。


本当にウサマがテロリストであれば、アルカイダから報復があると思いますので 喜んでもいられませんね。
姪、ドゥフールさんの報復なら喜んでお受けしますが。face05




  


Posted by ひろかず at 00:01Comments(1)グローバル・ピース

2011年04月30日

東北新幹線「はやぶさ」が全面復旧 つながる日本



東北新幹線は、29日、デビュー6日後に起きた東日本大震災で活躍の場を失っていた、最新型車両「はやぶさ」も、東北各県の大きな期待を担って運行を再開しました。

E5系新幹線「はやぶさ」は、東北新幹線が新青森まで延伸され全線開業するのに合わせて、JR東日本が投入した最新型の新幹線です。国内最高の時速300キロで首都圏と東北を結ぶ新型車両は、デビューから僅か6日後に東日本大震災が起きて、活躍の場を失っていました。東北新幹線が全線で運転を再開した29日、「はやぶさ」も再登場し、東京駅のホームには、「がんばろう東北」と書かれたプラカードを掲げた人や、記念の写真を撮る人たちが集まりました。

横浜から青森の実家に帰る37歳の女性は、「東北にとって、『はやぶさ』は、待ちに待って登場したもので、感慨深いです。復興の後押しとなる新幹線だと思います」と話していました。震災のあと、東北の観光地では宿泊客が大きく落ち込み、観光業は危機的な状況が続いています。大型連休の初日に運行を再開した「はやぶさ」は、被災地の復興と観光の復活に希望を託す、東北各県の大きな期待を背負っての再登場となりました。

(NHKニュースより)


実は、はやぶさという名前は公募した中で、7位だったのです。「はやぶさ」の応募数は3,129件で第7位。ちなみに第1位はかつて上野 - 青森間を走ったL特急の愛称「はつかり」、第2位はインターネット動画で人気のキャラクター名でもある「はつね」、第3位はかつて上野 - 青森間を常磐線経由で走った特急の愛称「みちのく」でした。
「はやぶさ」という名前には、やはり世界の闇の支配グループに対して、反旗を翻して戦いを挑む心意気が込められているので選ばれたのでしょうかね。ともかく、がんばろう日本!

関連→はやぶさ 世界で一番の『はじめてのおつかい』の意味  
タグ :はやぶさ


Posted by ひろかず at 07:25Comments(0)グローバル・ピース

2011年04月29日

アンジェラスの鐘 被爆のマリア像 秋月辰一郎博士


「NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘」というアニメ映画をご存知ですか。この映画は原爆から60年を記念して作られたもので、原爆の惨劇を爆心地から程近い、浦上第一病院(現聖フランシスコ病院)の青年医師・秋月辰一郎博士の視線を通して描かれています。実在の医師です。

ドキュメンタリーアニメなんですね。2007年10月25日国連オーディトリアムでも上映されました。

1945年8月、浦上天主堂の上空500mで原子爆弾が炸裂しました。一帯は猛火に包まれ地獄と化し、薬もない、医療器具も何もない、その状況で次々と死にゆく患者を黙って看取りつづけるしかない……。生き残って喜んでいた患者たちも紫斑が出て歯肉出血が止まらず、嘔吐や下痢が突然ひどくなりあっという間に死んで行く。爆心地に近い人から順々に訪れる『死』。彼は気付く。「死の同心円だ」と―――。死の同心円はどんどん病院にもせまる。そして彼にも歯肉出血が……。自分が志した医学も医療品も薬剤も全て科学がもたらしたもの。しかし同じ科学が生み出した『原爆』が多くの人々の命を奪ったというジレンマへの葛藤。それらを引き起こした戦争への憤り………。


「アンジェラス」はラテン語で、エンジェル(天使)という意味です。
アメリカのLA ロス・アンジェルスは同じ語源です。
また、ジャン・フランソワ・ミレーの晩鐘(L'Angelus)、The Angelus
農作業をする夫婦が、夕刻、仕事の終わりに聞こえてくる鐘を聞きながら祈りを捧げています。

マリアのもとに現れて天使ガブリエルがイエス・キリストの誕生を告げました。イエスが生まれたことを私たちに毎日思い出させるために鳴らすのだそうです。5:30、12:00、18:00 一日3回鳴らされます。
正午と朝や夕方、アンジェラスの鐘が聞こえた時は、世界中の多くのクリスチャンが次のように祈ります。
『めでたし、聖寵みちみちてるマリア。主、なんじとともにまします。なんじは女の中にて祝せらる。また御胎の御子イエスも祝せられたもう。神の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終のときもいのりたまえ。アーメン』

昭和20年、8月9日、浦上天主堂は原爆により倒壊しました。

浦上天主堂の鐘(1946年)

再建された浦上天主堂

瓦礫の中からやっと見つかったこの鐘は今でも再建された天主堂で澄んだ音色を響かせています。

浦上天主堂の上空500mで原子爆弾が炸裂。一帯は猛火に包まれ地獄と化し、浦上に住んでいた12,000人のキリスト教信者のうち、8,500人がその日に亡くなったそうです。天主堂には、被昇天の祝日の準備のため信者24名と司祭2名がいたが、全員が即死、天主堂は深夜まで燃え続けたといいます。
「浦上五番崩れ」
キリシタン弾圧の時代(「浦上四番崩れ」という)が幕を下ろして70年後に起きた、あまりにも大きすぎるこの犠牲を、生き残った信者たちは新たな試練としてそう呼んだといいます。

その年の10月、瓦礫の中から、真っ黒に焼け焦げた顔が、深い悲しみをたたえて現れました。天主堂の祭壇に奉られていた聖母マリアのお顔でした。


被爆のマリア像を『世界遺産』へ
佐多保彦氏エッセイ
〈被爆のマリア像の存在を川添神父の著書『ふろしき賛歌』の中の「聖母像の首」という章から知った私は、とにかくそのお像を見たいと、1998年8月31日に一人で長崎の浦上天主堂に出かけた。
もともと浦上天主堂は、フランスのパリ・ミッション会が建立したものである。フランスに縁の深い私は、ブルゴーニュにあるシトー大修道院に何度も足を運び、そこの修道士とも親交が深く、システルシアン(今はトラピストと呼ばれている)には恭敬の念を持っている。そのシステルシアンであられた野口神父がこのマリア像をお見つけになったというエピソードに、私が心を動かされたことは言うまでもない。
「聖母像の首」は、天主堂内ではなく、他の原爆の記念品とともにガラスケースの中に展示されていた。正直ショックであった。マリア様のお心を思い、悲しい気持ちで、とにかく写真を数枚撮らせて戴いた。
被爆のマリア像が訴えるものは実にパワフルで、世界平和のシンボルにこれほどふさわしいものはないと考えている。それは単なる反核の訴えを越えて、人類普遍の平和に対する認識と熱意を感じさせるからである。お像の廻りに“反核”や“平和”などの言葉によるプロパガンダは要らない。ただ静かに傷ついたお顔を堂々とお見せになられているだけでよい。人々はその前に跪き、各々の祈りを心に唱えることだろう。それは目に見えずとも、平和を訴える大きなパワーとなって浦上から世界へ流れ出てゆくに違いない。 被爆者の身体は月日と共に朽ち、記憶も薄れる。しかし世界で唯一傷ついたマリア様のお顔は、浅はかな人間の行為や科学の過ちを後世に伝えてゆく。その意味で、このマリア像はまさしく「世界遺産」ではないだろうか。
まずは今年中に、このお像を浦上天主堂内にお迎えして戴きたい。私はそのミサに出席するのを心待ちにしている〉
『聖母の騎士』誌 2000年9月号より


「被爆マリア」は平和の聖母として、その後世界中を旅をしています。ベラルーシの世界ヒバク展にも展示されたのです。チェルノブイリ原発事故で被害を受けたベラルーシ共和国。 「被爆マリア像や長崎の鐘が、長崎と同じ核の被害を受けたベラルーシの人々を励ますことができれば幸いだ」と長崎の被爆者ともに参加したそうです。 
いつか福島原発被災地も巡礼して多くの方を励ましてほしいですね。


長崎の原爆の大きさ
長崎に投下された原爆はプルトニウム爆弾で、ウラニウムを使った広島型のおよそ3倍の威力だったといわれています。爆弾の大きさは、長さ3.2m、直径1.5m、重さ4.5トンもありました。原爆は、1945年(昭20)8月9日午前11時2分、長崎市松山町の上空およそ500mのところで爆発しました。

人の被害
死者、約7万4,000人、負傷者は7万5,000人ともいわれ、爆心地から1Km以内は9割が亡くなったといわれています。原爆の熱線による火傷は、重傷になると表皮は焼け爛れて剥がれ落ち、皮下組織や骨までも露出、傷跡はケロイドとなって残りました。凄まじい爆風で一瞬で人間は吹き飛ばされ、無数のガラス破片を全身に浴び、傷口にはウジがわいて被爆者を苦しめました。放射能によるガンや白血病などの病気で今も苦しんでいます。被爆後に生まれた被爆2世たちの健康調査も行われています。

物理的被害
爆発の瞬間に強い閃光を発し、10秒後位に大爆発音と共に凄まじい爆風と熱線を放射状に放ち、多量の放射能を放出しました。放射能は眼にも見えず、音として聞こえず、熱くもないし、全く五感で感じられないものでありながら、強い影響を与え身体の奥深くを傷付けました。爆発の温度は直下で3,000~4,000℃に達したと推定されています。爆風と熱線は瞬間的に大きな破壊力を生じ、同時に発生した火災で市の3分の1が焼失、全壊全焼した建物は2Km以上にまで及びました。爆心地から約1.4Kmの本原の丘に立つ浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)は元カトリックの神学校で、赤煉瓦造り3階建ての美しい建物でした。爆風で内部は破壊され外郭だけを残し焼失しましたが、直後の焼け野原の中でただ1つの医療機関としてその使命を担いました。(長崎原爆戦災誌より)

さて、「NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘」の主人公、秋月辰一郎(あきづき・たついちろう)博士について
(1916年~2005年。長崎市万才町生まれ。当時の浦上第一病院医長。'52年に聖フランシスコ病院医長、'86年顧問。爆心地から1.4kmで被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。吉川英治文化賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。著書に『長崎原爆記』『死の同心円』)

1945年8月9日、長崎に原爆が投下され、その爆心地から、たった1.4kmのところで、当時浦上病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被曝しました。
博士は、次のように職員に命令したといいます。
爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ
(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被曝医師の記録」長崎文献社)
そして病院にいた医師・スタッフ・患者70人全員が死を免れたといいます。
なるほど!



以下ご参考に、大阪の遊牧民さんからの情報です。

お世話になります。
政府は東京電力は守っても、国民を守ろうとしないので、
こうなったら、自分たちで放射能から守るしかないわな~
懸命な皆さまはご存知だと思いますが、
ダメ押しのつもりで、投稿しますね~

●放射能(放射線)を解毒したり、排泄する楽しい食生活●

1、わかめの味噌汁を毎日飲みましょう
避難所のボランティアの方、可能なら、毎日1食は、「わかめの味噌汁」の炊き出しをお願いしますね。
全国の皆様、わかめの味噌汁を毎日飲みましょう!
できれば、本当に発酵させた(健康食品店で売っているような)お味噌がいいのですが、この際、どうでもええから、、、
わかめの味噌汁を毎日飲んでくださいね。
納豆もええよ(ただし本当に発酵させた納豆を)。

2、牛乳は飲んだら危険!
絶対に飲まないでください。
体内のカルシウムが排泄されて、免疫力が著しく低下するんやしい~!

3、肉類・ハム・ハンバーグ類は、食べたらあかんで!
免疫力が弱まり、放射能にイカレテしまうで~

4、天然塩を使った「おむすび」を食べよう!ごはんは、白米よりも玄米の方がベターだけど、、、
塩味は少し辛めにしてね。
天然塩は摂りすぎても、血圧は上がらないよ。
血圧が上がるのは、安物の精製塩だよ。

5、本物の漬物を食べようね。浅漬けはダメよん。
本当に発酵した漬物に~
本当に発酵したお醤油をかけようね。

6、甘いものは絶対食べたらあかんで!ここで云う「甘いもの」とは、白砂糖(上白糖)を使った、お菓子や饅頭やケーキやパンなど。
放射能にええようにされますで~

7、コンビニ弁当は「危険レベル7」やしいコンビニ弁当を食べることは、毒を食べるようなもの。
「ブチ切れ」易くなるし。
免疫不全になるし。
味覚障害も起こすし。

行政の方へ~
避難所では、コンビニ弁当を支給するのはゼッタイにやめてください。
コンビニ弁当を3食出すくらいなら、「ケールの青汁」を
1日1杯(150MLくらい)を避難所全員に振舞ってくださいね。
もちろん、飲む・飲まないは本人の自由ですが、、、

8、このサイトをぜひご参考に観てチョンマゲ!
日本を放射能被曝から守る会
     ↓
http://www.j-r-p.org/info.html


ということです。
楽しいというより、ちょっと過激で厳しい食生活ですなあ。
内容の真偽は私にはわかりませんが、危険は注意しすぎる位の方が安全ですからね。
そういわれても牛乳や、コンビニ弁当はついつい買ってしまいそうですね。
ご自身でご判断ください。
  


Posted by ひろかず at 00:40Comments(0)グローバル・ピース

2011年04月27日

特攻花  平和を願う天人菊


特攻花 仲田 千穂/著

63年前の太平洋戦争中、九州から沖縄のアメリカ艦隊に向かう特攻機は、一旦、九州・沖縄の中間にある中継基地、喜界島で給油や整備をし、再び沖縄に向かいました。
夜明け前に特攻出撃する10代の若い隊員たちに、娘たちは野の花を贈っていました。
隊員たちはその花を握りしめ沖縄に向い、途中の島の滑走路に、
何かを願うように、そっとその花を置き、再び沖縄に向け飛び立って行きました。
その花の種が風に舞い・・・ 
63年たった今も毎年、滑走路周辺に花を咲かす、この天人菊を、
島の人たちは、「特攻花」と呼び、平和を願う花として大切にしています・・・

この花の話を聞いた19才の仲田千穂さんは、「その花を見たい、撮りたい」との思いから喜界島に通うことになり、写真家をめざすきっかけにもなったそうです。
その間、「戦友は死に、自分だけが生き残った・・・」と悩まれた元特攻隊員の板津さん(83)
(知覧特攻平和会館・顧問)や、喜界島に爆撃機で天人菊を運び戦死した友人を著書にした市川さん(87)や島の住職さん、医師不足のため島へ来られた老医師さんとも親しくなり、7年目には島のたくさんの若い人達が応援してくれたといいます。
一つのお話しから始まり、百への話へつながった喜びと、「伝える」責任も仲田さんは学びました。
私たち若い人たちが過去を知り、それを受け止め逆に自分の人生に夢を持ち、
何があってもへこたれずに、生きて行ければ・・・
平和を願う花、特攻花を通じて、その橋渡しの何かが出来れば・・・と撮りためた作品をまとめた写真集です。

以下はその写真集を見て、特攻花を知り、撮りに行った「下水道と歌三線と横笛と」のりんぼさんの写真
http://rimbow.ti-da.net/e3027190.html

仲田さんの思いが着実に広がっていますね。


松本で特攻隊で生き残った方から私も話を聞いたことあります。写真もたくさんあって、本人に自分史を勧めていましたが、数年前なくなってしまいましたので残念でした。息子さんたちにまとめてもらいたいですが、おそらく父親が戦争中の話をするのを積極的に聞いてはいなかったのではと思います。私も、幼少時「戦争中はなあ、食うものがなくて大変だったんだ。食い物を残したらだめだぞ。米粒ひとつでも」などと父からよくお説教されていて、戦時中の話を子供のころ詳しく聞こうという気になれなかったものです。
その特攻隊で生き残った方は、なぜ生き残ったかというと、出撃当日風邪を引いていて、代わりに違う若者が飛んだのだそうです。なので、その方の死を背負って生きてきたそうで、自分はすでに死んだ身なんだと語っておられました。特攻訓練時代に芽生えた現地の娘さんとの恋話も聞きました。空襲でその娘さんは亡くなったのではないかと、悲しい話ですね。
特攻花を通じて芽生えた恋のスピードなどにも負けない速さで、敢然と敵国艦隊に突っ込んでいった若者たちが、数千人。忘れてはならない史実ですね。特攻花を私もぜひ見に行きたいです。  


Posted by ひろかず at 01:42Comments(0)グローバル・ピース

2011年04月26日

神風特攻隊の夢 壮絶大西瀧治郎 憂国三島由紀夫


晴れやかな笑顔の特攻隊員と鳥浜トメ

『ホタル帰る
――特攻隊員と母トメと娘礼子」




軍の指定食堂を経営する鳥浜トメは長女の美阿子と次女の礼子とともに、出撃する特攻隊員を温かく迎え、送りだしました。隊員たちもトメを実母のように慕ったといいます。トメの生き方と特攻隊員たちの最後の様子を、トメの娘礼子がありのままに語った感動の物語です。


本書で紹介されている特攻隊員たち

稲田光男伍長(飛行第103戦隊。昭和20年5月10日出撃戦死、18歳)











新田豊蔵伍長(飛行第103戦隊。昭和20年5月25日出撃戦死、18歳)











光山文博少尉。富屋に来た最初からトメに「ぼくは朝鮮人です」と言っていました。出撃の前夜(昭和20年5月10日)、祖国の歌アリランを泣きながら歌ったそうです。









宮川三郎軍曹(第10武隊)は、出撃の前夜(昭和20年6月5日)、富屋でトメに、「死んだらまた小母ちゃんのところへ、ホタルになって帰ってくるよ」と言い残して鹿児島県知覧基地から出撃していきました。そして不思議なことにその夜、トメの家に本当に一匹のホタルが入ってきたというのです。






日本陸海軍による組織的な航空特攻は1944年10月21日のレイテ沖海戦での海軍・久納好孚の出撃からはじまり(通史では同年10月25日の海軍神風特別攻撃隊敷島隊・関行男による特攻が最初とされている)、敗戦の日の8月15日までの全日数299日、内147日間にわたり実施され、戦死者数は海軍2500人前後、陸軍1500人前後、計4000人前後。

陸海軍航空特攻隊出撃年表〔比島・沖縄作戦〕
http://www1.ocn.ne.jp/~syowa/A207.html

仔犬を抱く平均年齢17歳の神風特攻隊員

小説「徳川家康」や「明治天皇」の作家である山岡荘八は、戦時中海軍報道班員でした。その山岡荘八が回想の中で昭和20年5月11日に鹿屋基地を飛び立った特攻隊の神雷爆装戦闘機隊筑波第一隊長西田中尉についてのエピソードを書いています。

彼の出撃していったのは5月11日。その二日前に死に装束の一部である新しい飛行靴が配給された。と、すぐさま彼は、しばらくあとに残ることになった部下の片桐一飛曹を呼んだ。
「そら、貴様にこれをやる。貴様とおれの足の大きさは同じだ」すると、いかにも町のアンチャンといった感じの片桐一飛曹は、顔色変えてこれを拒んだ。
「頂けません。隊長の靴は底がパクパクであります。隊長は出撃される…いりません」
「遠慮するな。貴様が新しいマフラと新しい靴で闊歩してみたいのをよく知っているぞ」
そう言ってから「命令だ。受取れ。おれはな、靴で戦うのでは無いッ」
そうした中尉の態度は、もう何を訊ねても、そのために動揺するような気配は全くなかった。
そこで私は古畳の上に胡座して、教え子に最後の返事を書いている彼に、禁句になっている質問を矢つぎ早に浴びせていった。この戦いを果たして勝ち抜けると思っているのかどうか? もし負けても、悔いはないのか? 今日の心境になるまでにどのような心理の波があったかなどを… 彼は重い口調で、現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。したがってもはや動揺期は克服していること。そして最後にこうつけ加えた。
「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです…おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にも繋がっていますよ。そう、民族の誇りに…」
私は、彼にぶしつけな質問をしたことを悔いなかった。と、同時に彼がパクパクとつまさきの破れた飛行靴をはいて、五百キロ爆弾と共に大空に飛び立っていったとき、見送りの列を離れて声をあげて泣いてしまった。



第一航空艦隊司令長官・大西瀧治郎中将は、「特攻生みの親」などと呼ばれていますが当初「特攻は統帥の外道である」とし、特攻隊の編成には反対の立場をとっていたとされています。
記者が「長官、特攻隊で戦況が挽回できるのですか」と尋ねると、それに対し大西中将はこう答えました。

「この戦争は勝てぬかも知れぬ。しかし、ここで青年が起たなければ日本は滅びますよ。青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を国民が記憶する限り、日本と日本人は滅びないのです。」
日本の敗戦を見とどけると、大西瀧治郎は8月16日、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。遺書には特攻で散華した兵士達への謝罪と共に、生き残った若者に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭しています。自決に際してはあえて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受けることすら拒み、特攻隊員にわびるために「死ぬときはできるだけ苦しんで死ぬ」 という言葉どおり夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだといいます。享年54歳。壮絶な死に様でした。
辞世の句
「これでよし 百万年の 仮寝かな」
「すがすがし 暴風のあと 月清し」


特攻隊員であった緒方襄命さんという人の、出撃前の辞世の句。
「清がすがし 花の盛りにさきがけて 玉と砕けむ丈夫我は
死するとも なほ死するとも 我が魂よ 永久にとどまり御国まもらせ

三島由紀夫著:英霊の声
我らの熱情は技術者の冷静さと組み合わされ、我ら自身の死の有効度のための、精密な計算に費やされていた。・・・・ 我らは時折、遠く小さい清らかな神のことを考えた。・・・・ 距離を急いでつづめようと思うこともなかった。・・・・・・ 最後には愛機の加速度を以て突入してゆく死、目ざす敵艦の心臓部にありありと我らを迎えて両手を広げて待つであろう死、その瞬間に、我らは あの遠く小さい清らかな神の おもかげを、死の顔の上に見るかもしれなかった。そのとき 距離は一挙にゼロとなり、我らと あの神と死とは一体になるであろう。自ら神風となることとは、・・・・人をして我らの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。・・・陛下は決して、人の情と涙によって、我らの死を救おうとなさったり、我らの死を妨げようとなさってはならぬ。・・・・ 神のみが、青春のこのような 壮麗な屠殺によって、我らの生粋の悲劇を成就させてくれるであろうからだ。そうでなければ、我らの死は 愚かな犠牲にすぎなくなるであろう。


子供の頃、三島由紀夫が1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)のバルコニーで演説しクーデターを促し割腹自殺を遂げた三島事件がありました。図書館に三島由紀夫の本を見つけて、狂ったおじさんの代名詞として扱ったものです。
三島由紀夫は、戦後日本がアメリカナイズされ、武士道精神が消えうせ、平和ボケしていく世相が許せなかったのですね。60年安保闘争にショックをうけた米国は、日本の反米意識をなくすため、ビートルズを日本武道館に送り込んだり、PLAYBOYなど男性誌や洋画で、セックスアピールの強い文化を持ち込んだり、大阪万博を開催して前衛芸術の岡本太郎などを体制側に取り込んだりしてきました。おかげで、80年は安保なし、完全に日本人の武士道精神の骨抜き作戦に成功しました。もはや、敗戦ということも意識しないほど平和ボケした日本。エコノミックアニマル化の末、バブル崩壊、大不況、日航機墜落、巨大地震、大津波、放射能汚染、この次は大飢饉がやってきます。そろそろ、今世界はどうなっているのか、なぜユーロが出来たのか、なぜ中東やアフリカで戦争が起こっているのか、ドルはただの紙切れになりそうなのに大量の米国債を買わされて、、、、日本ほど選挙の投票率の低い国はありません。もっと、世界の動き、何が起こってるのか、世界一斉デジタル放送化とは、世界共通国民背番号制[日本での名称は住民基本台帳ネットワークシステム(「住基ネット」と略す)]とは、、、と、国際情勢に関心を持っていかないと気が付いたら本当に獣(ビースト:原子爆弾を投下した人たちはいまでも我々をこう呼んでいます)以下の処遇にされてしまいます。

神風特攻隊とはなんだったのか。日本の200年後のために果てていったといわれる、何千人もの若者たちの英霊の声を今聞くべきだと思います。
アメリカがいまでもアジアの中で唯一日本にある種の恐怖をわずかでも持っている理由は、特攻、玉砕精神を見せ付けられたからなのだと言われています。占領統治時代あまり敗戦国だからといって虐めていくと、武士道精神が何を起こすか分からないと不安だったと言います。

勝てないかもしれない、でも負けない日本。がんばれ!

  


Posted by ひろかず at 02:46Comments(0)グローバル・ピース