2014年01月31日
2013ブログアワード特別賞 地元de賞受賞
有難うございます。
ナガブロより2013ブログアワード特別賞「地元de賞」を受賞させていただきました。
これが賞状です。
「容量いっぱいになるまで地元のことを発信し、これからもまだまだ発信していく姿勢が素晴らしいですね!」
という事だそうです。
容量いっぱいになるまでブログをたくさんアップしていたので、ひょっとしてご迷惑なブロガーなのかも、、、とかなり心配しておりましたが、こうした賞を戴け、感謝いたします。授賞式まで催していただき大変恐縮いたしました。
キャロもビックリですね。
大変に有難うございました!!!!!
大感謝です。
2013年06月15日
里仁会 書展
松本市美術館にて里仁会書展が開かれています。
主管の大澤逸山先生の書
先生の教え子がもう、子供を連れて訪れるようになりました。
百祥。
百の幸せが訪れる。
多く幸せを望みません。せめて一つ二つ。と。
なるほど!
2013年02月02日
ふるさと歌謡 青柳順子さん歌手デビュー
作詞家の岩淵順子さんが、66歳で自らの作詞による歌唱で歌手デビューされました。
青柳というのは旧姓だそうです。
「あなたの美ヶ原」「明日も晴れる」
というふるさと歌謡です。
AKBやももいろクローバーZを手掛けたキングレコードから全国発売です。
ご友人の舞いに合わせ、歌う青柳さん。
人前で歌うのは、小学校時代「てるてる坊主」を歌ったくらいという。
へたでも一生懸命歌えばいいんだと、作曲家に励まされての一大発起。
その作詞家の原賢一先生。全国にふるさと歌謡を根付かせた方です。
遅咲きというより、狂い咲き?
今さら、売れるわけないじゃん、と冷やかされながらも。
紅白目指せと!
その順子さんのエネルギーに励まされた会でした。
2012年12月15日
ビニールハウス苺栽培
プランターで、ビニールハウス苺を栽培することにしました。
NHKの趣味の園芸で作り方を紹介されていたので、材料を100円ショップで買ってきて作ってみました。
苺は、2種類混ぜています。
さて、この寒い信州ではいつ苺ができるでしょうか。
タグ :苺
2012年07月13日
人形の家
『人形の家』(にんぎょうのいえ)は、1879年にヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。
しばしばフェミニズム運動の勃興とともに語られる作品であり、この作品の成功がイプセンを一躍世界的な劇作家としました。
あらすじ [ウィキペディアより]
弁護士ヘルメルの妻ノラは、無邪気にヘルメルを含めて人間を信じ、貧しいものに分け与える心の余裕を持ち合わせた女性であった。彼女はヘルメルに「大切に」されていた。猫かわいがりするヘルメルの愛の性質に、気づいていながらも日々を過ごしていたノラにある日、事件が訪れる。
ヘルメルの部下クロクスタが、ヘルメルの留守を狙ってノラのもとに嘆願にやって来たのだ。彼は馴れ馴れしい態度を取ったためヘルメルに疎まれ、じきに解雇される予定であった。ノラは断ろうとするが、クロクスタは彼女の弱みを握っていた。それはヘルメルが重病に陥り金銭が不足したとき、彼女はクロクスタから借金をし、その際、借用証の父のサインを捏造していたということだった。当時、彼女の父は重病であったため、これは苦肉の策であった。もし解雇されるなら、この事実をヘルメルに暴露すると、クロクスタに宣言されたノラは悩む。自分を支配しているヘルメルがこのことを知れば、すべての生活は破滅することは目に見えているからだ。
やがて、ノラはヘルメルにクロクスタの解雇を取り消すよう頼むが、事情を知らないヘルメルは取り合わず、クロクスタは解雇される。宣言どおりクロクスタは暴露する手紙をヘルメルに送った。事実を知ったヘルメルは激怒し、ノラをさんざんに罵倒する。すべての終わりがやってきたと思ったさなか、改心したクロクスタから捏造の証拠である借用証書が送られてくる。これでヘルメルの危機は過ぎ去った。先ほどまでの態度を豹変し、再び微笑んで甘いことを言い放つようになるヘルメル。ヘルメルが対等な人間として、絶望や悩みを共有し、喜びを分かち合える存在、「1人の人間」として自分を見ていないことにノラは絶望し、ヘルメルの制止を振り切り、ノラは家を出る。
徳永英明- 人形の家 (Short ver.)
http://youtu.be/5kKcLbc9UFM
タグ :人形の家
2012年03月05日
弧月を偲んで
今年は西郷弧月が逝去して100周年にあたります。
孤高の画家を偲んで新年会をしました。
弧月作品を鑑賞します。
「雪景」雪は画になりますね。
「雪景山水」
「登龍」今年は、辰年でしたね。
春の献立前菜です。
この館は天井の升目に全部絵が描かれています。
鳥を抜かせば、唯一動物を描いた絵がこれです。
鬼ですね。
こんな純日本間で、先日若手ロックグループが演奏ビデオを撮られたそうです。
観てみたいものですね。
タグ :弧月
2012年01月11日
年賀状をレジンアートで飾る
年賀状を家族で500枚近くも出す我が家は、郵便局に貢献しているかも。
独身の頃は、プリントごっこで絵をかいたり、自分の撮影した写真作品を載せるのが主でしたが、この十数年は、親ばか写真のような近況報告型年賀状に甘んじております。最近は、さすがに子供は自分たちの手づくり年賀状をそれぞれ出しています。そのうち、また趣味の年賀状に戻れるかも、、、。
知り合いのかたで、年賀状のお返しに、こちらで出したものを拡大して、油絵など描くキャンバス地に転写して贈ってくれた方がいました。発明家の方で、お皿とか、石とかにも転写できるようです。ちょっとビックリです。
レジンアートというのだそうです。
http://www.pyxis.bz/reginart.html
レジンアートとは、特殊な転写シートを使用し、そのシートをオリジナル溶剤の中に封入することにより、そのままの色を半永久的に保存し、様々な形や素材の物に転着することを可能にしたアートです。
完成品は、油絵風の独特の色彩の深みや質感を表現することが出来、お好みにより、凹凸のある立体製品を作り上げることが出来ます。
転写シートには、お手持ちの写真やポスター、手書きの絵画などほとんどのモノを転写することができます。
転写物は、ステンドグラス、窓ガラス、テーブル、コップ、瓶、花瓶や皿、カップ、壺。タイル、レンガ、ブローチペンダレント、オルゴール、テーブルクロス、ランチョンマット、ジャンパー、ランドセル、アタッシュケース、スールケース、財布、ポシェット、楽器ケース、机や椅子、箪笥、照明器具、広告板、キャンバス画、壁面クロス・・・・など、様々です。
ということで、試して見たい方は、新宿の東急ハンズにも材料が売っています。
2011年11月01日
似顔絵を描く面白さ
先日、知り合いの方が似顔絵展をしていると言うので観にいってきました。
始めてからまだ半年くらいと言うにしては上手です。
みのもんたさんもびっくりです。
白鵬。
イチロー。
岡田さん。
鳩山さん。
野田総理。
おひさまの井上真央さん。
おひさまタケオ役の柄本時生さん。
なでしこジャパンのサワ選手。
自画像は描かないんですか、というと、、、何度描いても加山雄三になっちゃうから、、、と。(笑)
2011年06月27日
岳(ガク) 作者石塚 真一
映画「岳」の原作であるコミック版「岳」は、山登りが大好きな作者石塚真一の登山へのいざない。読んでいるだけで、沢山の山に登ったような気がしてきます。
ウィキペディアによる紹介文によると、
石塚 真一(いしづか しんいち、1971年 - )は、日本の漫画家。茨城県出身。
プロフィール
アメリカの南イリノイ大学、同国サンノゼ州立大学在学中にロッククライミングの虜になり、日本に帰国後、その経験を元に『岳 みんなの山』を描き始める。2001年、『This First Step』で、第49回小学館新人コミック大賞一般部門に入選。『岳 みんなの山』で、2008年3月に第1回マンガ大賞を、2009年1月に第54回(平成20年度)小学館漫画賞一般向け部門を受賞した。
アメリカでは、気象について学んでいた。帰国後に勤めた会社が約1年で倒産したという苦労人でもある。
5年間アメリカに留学中だった頃から、漠然とマンガを描きたいとは思っていたそうであるが、帰国して、実際に描き始めたのは28歳の時からであった。「340円で、マンガの描き方の本を買ってきて始めた」。
なお、石塚が好きな場所(山)は、アメリカのワイオミング州、グランド・ティトンとのこと。
以上
好きこそ物の上手なれといいますが、趣味を高じることも才能を開花させる上で必要かもしれませんね。
前出記事:映画『岳(ガク)』 生死の極限 救世者たち
2011年01月03日
孤月鑑賞 浅間富士乃湯
昨師走に行なわれた浅間温泉富士乃湯で行なわれた孤月会で鑑賞させていただいた西郷孤月作品です。
西郷孤月筆 『朝の海』
西郷孤月筆 『芙蓉峰新晴』 初夢富士山観れましたか。
線描きを排したもうろう体で書かれています。
この作品の箱書きを赤羽雪邦がしています。
孤月と雪邦は、同じ松本市出身で東京美術学校(現東京芸術大学)の第一期生として入学した仲間です。
箱書きには、春草と孤月は実力伯仲であると評価しています。ただ、このとき二人とももうこの世にいない。そんな感慨を込めて書かれています。
孤月の代表的テーマ 『月下飛鷺』
水野美術館にも所蔵されていますが、昨年の美術展のパンフレットでこの信州が生んだ天才画家が紹介されていなかったのが残念、、、。さらに実力が正しく評価していただけるよう顕彰していきたいです。
孤月会の重鎮であった故武藤様を偲んで献杯。
富士乃湯 長野県松本市浅間温泉3-13-5
TEL0263-46-1516
西郷孤月筆 『朝の海』
西郷孤月筆 『芙蓉峰新晴』 初夢富士山観れましたか。
線描きを排したもうろう体で書かれています。
この作品の箱書きを赤羽雪邦がしています。
孤月と雪邦は、同じ松本市出身で東京美術学校(現東京芸術大学)の第一期生として入学した仲間です。
箱書きには、春草と孤月は実力伯仲であると評価しています。ただ、このとき二人とももうこの世にいない。そんな感慨を込めて書かれています。
孤月の代表的テーマ 『月下飛鷺』
水野美術館にも所蔵されていますが、昨年の美術展のパンフレットでこの信州が生んだ天才画家が紹介されていなかったのが残念、、、。さらに実力が正しく評価していただけるよう顕彰していきたいです。
孤月会の重鎮であった故武藤様を偲んで献杯。
富士乃湯 長野県松本市浅間温泉3-13-5
TEL0263-46-1516
2010年12月28日
2010年04月14日
栗城史多さん エベレストへ ライブ映像配信
小さな登山家 栗城史多(くりき のぶかず)さんが、またエベレストを目指し、出発されました。
2010年4月アンナプルナ8091mのスキー滑降と再挑戦となるエベレスト8848mグレードクワール(ルート名)からの単独無酸素に向けて。
昨年、エベレスト登頂に挑戦した際の栗城史多さん。自身で撮影したもの(栗城史多さん提供)
産経ニュースより
本人インタビューから、(抜粋)
「凍傷はもちろんですが。一番大変なのは睡魔です。7500メートルから先は、ほとんど寝ないで登っていく。寝ちゃいけないんです。横になって寝ると、呼吸が浅くなって、ぽっくりいってしまう。長いと、3日間は寝ない。酸素が3分の1の山で寝ていないと、ものすごい睡魔が襲ってくる。やがて、夢と現実の世界が錯綜(さくそう)し始める。真夜中に登っていて、ちょっと休むと、次の瞬間、なぜか札幌の自分の部屋にいる。暖かい布団の中に入りたくなる。『寝ちゃいけない』と登り続けると、今度は、実家にいる。玄関に父が立っていて、『寄っていけ、寄っていけ』と言う。そのとき寄っていたら、危なかったと思う。
8000メートルをこえて、ひとりで登り続けると相当苦しい。寒さが厳しく、孤独感もすごい。そんなとき、苦しみに対抗しようとすると、苦しみはどんどん増していく。逆に苦しみから逃げても、追っかけてくる。苦しみは受け入れるしかないんです。
単純なんですけれど、苦しみに感謝するんです。苦しいときに、『すべてに感謝、ありがとう』と言葉に出す。苦しみに感謝して、ピンチをチャンスにかえていくんです。(中略)
自分のひきこもりの経験から、夢とか希望を持って、そこに歩んでいけるのが人間だと思った。登山の様子を動画で配信する企画を立てたのも、夢が実現するか、しないかをみんなで共有したいと思ったから。あんな兄ちゃんが、あんなすごいことができるんだったら、私も何かできるかもしれないと思ってくれるかもしれない。僕のやっている登山も何か意味を持つのではないかと思った」
http://kurikiyama.fc.yahoo.co.jp/8/
にて、ライブ映像が、観れます。皆で、ぜひ活躍を毎日観ましょう。
「夢を持つと希望と同時に大きな不安がある。でも、限界は自分が作っているもの。
青く宇宙のような無限の世界——だれも目にしたことのない世界へ、僕は行きたい。」
栗城史多
座右の銘 「全てに感謝」
使命は、「人に感動してもらう冒険を行い、一歩踏み出す勇気を与える」
身長162センチ、体重60キロ。という小柄な身体、
さらに肺活量・筋量ともに、成人男子の平均並。
ソロアルピニストって、孤独と、山と、向かい合って、チャレンジしていて、清清しいですね。
再びエベレストの頂上を目指し、がんばってください。
ヒマラヤといえば、安曇野山岳博物館で、展示されている山岳画家の原田達也さんの作品のポストカードを昔制作しました。絵を観ていて、いつか私もヒマラヤに行ってみたいと思いました。ヒマラヤは、いつ何が起きてもおかしくないところなので、万全の準備で、望んでくださいね。
原田達也(ハラダ タツヤ)1935~1997
1997年8月20日爆風雪崩に より死亡、パキスタン・カラコルムに眠る。
60歳を超えて、スキルアルム峰(7360メー トル)にチャレンジして、最期の最後まで山の絵を描き続けた方です。
栗城史多さん、必ず、生きて帰ってきて!
毎日、観ていますからね!
2010年4月アンナプルナ8091mのスキー滑降と再挑戦となるエベレスト8848mグレードクワール(ルート名)からの単独無酸素に向けて。
昨年、エベレスト登頂に挑戦した際の栗城史多さん。自身で撮影したもの(栗城史多さん提供)
産経ニュースより
本人インタビューから、(抜粋)
「凍傷はもちろんですが。一番大変なのは睡魔です。7500メートルから先は、ほとんど寝ないで登っていく。寝ちゃいけないんです。横になって寝ると、呼吸が浅くなって、ぽっくりいってしまう。長いと、3日間は寝ない。酸素が3分の1の山で寝ていないと、ものすごい睡魔が襲ってくる。やがて、夢と現実の世界が錯綜(さくそう)し始める。真夜中に登っていて、ちょっと休むと、次の瞬間、なぜか札幌の自分の部屋にいる。暖かい布団の中に入りたくなる。『寝ちゃいけない』と登り続けると、今度は、実家にいる。玄関に父が立っていて、『寄っていけ、寄っていけ』と言う。そのとき寄っていたら、危なかったと思う。
8000メートルをこえて、ひとりで登り続けると相当苦しい。寒さが厳しく、孤独感もすごい。そんなとき、苦しみに対抗しようとすると、苦しみはどんどん増していく。逆に苦しみから逃げても、追っかけてくる。苦しみは受け入れるしかないんです。
単純なんですけれど、苦しみに感謝するんです。苦しいときに、『すべてに感謝、ありがとう』と言葉に出す。苦しみに感謝して、ピンチをチャンスにかえていくんです。(中略)
自分のひきこもりの経験から、夢とか希望を持って、そこに歩んでいけるのが人間だと思った。登山の様子を動画で配信する企画を立てたのも、夢が実現するか、しないかをみんなで共有したいと思ったから。あんな兄ちゃんが、あんなすごいことができるんだったら、私も何かできるかもしれないと思ってくれるかもしれない。僕のやっている登山も何か意味を持つのではないかと思った」
http://kurikiyama.fc.yahoo.co.jp/8/
にて、ライブ映像が、観れます。皆で、ぜひ活躍を毎日観ましょう。
「夢を持つと希望と同時に大きな不安がある。でも、限界は自分が作っているもの。
青く宇宙のような無限の世界——だれも目にしたことのない世界へ、僕は行きたい。」
栗城史多
座右の銘 「全てに感謝」
使命は、「人に感動してもらう冒険を行い、一歩踏み出す勇気を与える」
身長162センチ、体重60キロ。という小柄な身体、
さらに肺活量・筋量ともに、成人男子の平均並。
ソロアルピニストって、孤独と、山と、向かい合って、チャレンジしていて、清清しいですね。
再びエベレストの頂上を目指し、がんばってください。
ヒマラヤといえば、安曇野山岳博物館で、展示されている山岳画家の原田達也さんの作品のポストカードを昔制作しました。絵を観ていて、いつか私もヒマラヤに行ってみたいと思いました。ヒマラヤは、いつ何が起きてもおかしくないところなので、万全の準備で、望んでくださいね。
原田達也(ハラダ タツヤ)1935~1997
1997年8月20日爆風雪崩に より死亡、パキスタン・カラコルムに眠る。
60歳を超えて、スキルアルム峰(7360メー トル)にチャレンジして、最期の最後まで山の絵を描き続けた方です。
栗城史多さん、必ず、生きて帰ってきて!
毎日、観ていますからね!
2010年03月30日
50歳の恋愛白書 近日松本で公開
まだ、50歳までは、、、、、、しばらくありますが、、、、、
私もこの前まで、27歳だった気がする(笑)ので、あっという間でしょうか。
50歳代の女性は、また円熟して、、魅力的ですね。
大地真央、萬田久子、片山さつき、桜沢エリカ、高見恭子、早見優他、素敵な方たちがコメントされています。
松本シネマライツ8にて4月3日より
http://50love.gaga.ne.jp/
これは女性向きの映画でしょうかね。
私は、そんなに、観たいとは思いませんが。
ふと、目に入ったこの映画のポスターが、気になりました。
一度きりの人生ですから、後悔しないように生きたいものです。
人生半分過ぎたら、やりたいことだけやろう。
そうですね! 半分過ぎなくても、ホントやりたいことだけやりたいものです。
会社の同僚で、40歳を前に、子供の頃からの夢だったバスの運転手になった人がいます。
定年までのあと半分は、自分のやりたい仕事をしたい、と語っていました。
収入は、減ったといいます。でも、
ある日、ふとバスに乗ったとき、彼が運転していて、とっても楽しそうでした。
2009年10月01日
微笑仏
松本市の塩原さんという微笑仏を彫るご主人がいて、以前その方の筆で書いたイラストと文章を和綴じで印刷出版させていただきました。今は、逝去されて何年か経ちましたが、奥様から形見の微笑仏を最近ひとついただきました。奥様も、詩人エッセイストとして、何冊か本を出されている方で、重要文化財として評価される古民家、森に包まれたようなお住まいに住んでいらっしゃいます。(近年映画のロケにも実際に使われたそうで、そのまま絵になる住まいでした)
安曇野の、『水色の時の道祖神』を作られた先生に師事されて、微笑仏を彫られたそうで、微笑ましい優しい笑みが、見る人の心を癒してくれます。沢山の微笑仏を見ていたら、皆その奥様にどこか似ている気がしてきました。さぞ愛されていたんでしょう。
手前のは、クーがいたずらに作ったものです、ちょっと家の娘も芸術に感化されたかな。というほどでは、ないけど。