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ひろかず
ひろかず
地球生まれ NAGANOcity在住

よろこびのたねまきをしたいきまぐれのまぬけ 

趣味:写真 創作 映画 音楽 旅行 甘食 サイクリング 山登り 

2012年04月01日

川島芳子之謎 生きていた死刑囚 中国も認める

死刑囚川島芳子は実は生きていた! と中国でもついに発表されました。

今日は、エイプリルフールです。face10


戦後間もなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となった川島芳子。日中双方での根強い人気を反映して現在でも生存説が流布されています。

日本での特集番組
川島芳子之謎
http://youtu.be/fnXa7FrGcCI


中国での特集番組
川島芳子生死之谜
http://youtu.be/9De-eq0HM9w


川島芳子 歴史大河スペシャル
川島芳子 (1/4)
http://youtu.be/MJx5qluCZIY


川島芳子(2/4)
http://youtu.be/sB9LOu6axYw


川島芳子(3/4)
http://youtu.be/RZDKthKEJ24


川島芳子 (4/4)
http://youtu.be/xmvtsADikWQ


清朝の王女 川島芳子 写真アルバム
http://youtu.be/EhilI9pkhK0

saremu4 さんが 2010/12/09 にアップロード
川島芳子さんが養父に宛てた手紙より・・・
父上様  今日、弁護士から父上様のお手紙と村の代表者からの嘆願書を見せ て貰い、涙が出そうでしたが、泣きませんでした。
今、監獄からこの手紙を書いて居ります。
父上のご健在を知り、嬉しくてなりません。
この他に何も心配もありません。 私は死刑の宣告を受けました。 その理由がなかなか面白いのです。 清朝の復興を計った事が大罪になるようです。 それと日本のスパイだと言うのです。 亡き父の子、父上の子として恥じぬ態度で死ねば良いのです。
「あの子は困った奴で、学校は退学されるし、落第ばかりして、言 う事は聞かないから捨て子だ。」などと仰らないでください。 父上は子供可愛さに仰る事が直ぐ新聞種になりますし、それが世間 でまたワイワイ言うのです。
私は毎日元気です。 父上もお丈夫で必ず生きて居て下さい。 父上の事ですから、全財産を売って国債にうめられた事と思います が、私も父上の子ですから偉い人間になるつもりです。

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さて、今年も先週日曜日川島芳子を偲ぶ会が開かれました。
この会が近年の川島芳子ブームを作ってきたのです。
会のために昨年も来られましたが、アメリカからもご来客がありました。
英語版の伝記を書かれるそうです。

穂苅会長のごあいさつ。
最近、芳子と高校時代席を並べていた104歳の小松きよ江さんとお話しできたことなど語られました。
芳子も生きていれば今年105歳ですね。

東京大学の阿部講師も昨年に続き講演いただきました。

「川島芳子ゆかりの史跡と歴史資料について」お話しいただきました。
長野県にはたくさん史跡があります。
  
タグ :川島芳子


Posted by ひろかず at 09:58Comments(2)真実の川島芳子

2012年03月31日

死刑制度廃止せず 野蛮な国 日本 美人を殺すなかれ

一昨日死刑が執行されました。以下産経ニュースより


3人殺して不敵な笑みを見せる小川法相

「死刑は国民から支持されている」 小川法相が会見で強調
2012.3.29 11:28
「私は職責を果たすべきと考え、死刑を執行した」。約1年8カ月ぶりとなった死刑執行。29日午前、法務省で会見に臨んだ小川敏夫法相(64)は、淡々と概要を報告し、「死刑は国民から支持されている」と繰り返し強調した。
午前11時。会見場に現れた小川氏は「本日、死刑囚3名について死刑を執行しました」と落ち着いた様子で述べた。
小川氏は「犯罪に対してどのような刑罰で臨むかは、国民が決めること」と前置きした上で、内閣府の調査でも多くの国民が死刑を支持していることに言及。さらに、「国民の声を反映する裁判員裁判でも死刑が支持されていることを重要な要素とした」と述べた。

死刑制度廃止せず 首相「凶悪犯罪に鑑み」
2012.3.30 22:13
野田佳彦首相は30日の記者会見で、死刑囚3人に対する29日の刑執行に触れ、死刑制度を維持する考えを示した。「凶悪犯罪が減らない状況なども鑑みて、直ちに死刑を廃止するのは困難だ。死刑を廃止する方針はない」と述べた。
同時に、平成21年12月に内閣府が実施した世論調査で「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた人が85.6%だったと指摘。「死刑制度の在り方について、国民世論に十分配慮しながら、社会正義の実現などさまざまな観点から慎重に検討しなければいけない」と強調した。


関係者によると、死刑が執行されたのは、山口県下関市のJR下関駅で平成11年、15人を死傷させた上部康明死刑囚▽横浜市で14年、元妻の両親ら3人を殺害した古沢友幸死刑囚▽宮崎県で13年、女性2人を殺害し現金を奪った松田康敏死刑囚-の3人。

刑事訴訟法第475条に
死刑の執行は、法務大臣の命令による。
前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。
とある。


死刑執行の再開に強く抗議し、死刑執行を停止し死刑廃止について全社会的議論を開始することを求める日本弁護士連合会会長声明
本日、東京、広島、福岡の各拘置所において、それぞれ1名に対する死刑の執行が行われた。極めて遺憾な事態であり、死刑執行の再開について強く抗議する。
当連合会は、本年2月24日、野田内閣総理大臣に対し、「死刑制度の廃止について全社会的議論を開始することを求める要請書」を提出し、さらに同年2月27日、小川法務大臣に対し、「死刑制度の廃止について全社会的議論を開始し、死刑の執行を停止するとともに、死刑えん罪事件を未然に防ぐ措置を直ちに講じることを求める要請書」を提出して、国に対し、直ちに死刑の廃止について全社会的な議論を開始し、その議論の間、死刑の執行を停止することを改めて求めたところである。
死刑の廃止は国際的な趨勢であり、日本政府は、国連関係機関からも繰り返し、死刑の執行を停止し、死刑制度の廃止に向けた措置をとるよう勧告を受けている。また、本年2月には、欧州議会が小川法務大臣を名指しして死刑の執行を行わないよう求める決議を採択していた。そのような中で、全社会的な議論が尽くされるどころかその方針も立てられず、また議論の前提となる情報も提供されないまま、死刑の執行が再開されたことになる。
近時、法務省内部で行われてきた「死刑の在り方についての勉強会」が終了し、その報告書が公表されたが、これでは死刑廃止についての全社会的議論がなされたとは到底言えず、今回の執行はむしろ全社会的議論を封じるものと言わざるを得ない。
今こそ、死刑の執行を停止した上で、政府が中心となって、死刑に関する情報を広く国民に公開し、国会に死刑問題調査会を設置し、法務省に有識者会議を設置する等の方策をとることによって広く国民的な議論を行うべきである。
よって、当連合会は、死刑執行の再開に対し強く抗議するとともに、死刑執行を停止し、死刑制度の廃止について全社会的議論を直ちに開始することを求めるものである。

2012年(平成24年)3月29日
日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児


本質的な理由となると、
国家が、人の生命を奪っていいのか。つまり、生きる権利という、根本的な人権を侵害することが許されるのかという問いに行き当たるかと思います。

人間は生まれながらにして、人間の尊厳をもって生きる権利を持っており、その人格は不可侵であるというのが、人権の根本的な考え方です。
その視点に立つと、やはりルールを守らせる国家といえど、そのルールから除外されることなく、生命に対する尊厳を尊重せねばならない。ゆえに、死刑は廃止されるべきであるとしています。

死刑廃止国と存置国

いまや世界の3分の2を超える国が、法律上、または事実上死刑を廃止している。廃止国、存置国の数は以下のとおりである。
あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国:95
通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国:9
事実上の死刑廃止国:35

法律上、事実上の死刑廃止国の合計:139
存置国:58

下記は、死刑を全面的に廃止した国、通常犯罪のみ廃止した国、事実上廃止した国、存置国、という4つの分類における国別のリストである。
最後にあるのは1976年以降に死刑を廃止した国のリストである。リストは、この10年間で死刑を法律上廃止した国、または通常の犯罪については廃止していたがすべての犯罪について廃止することになった国が、平均して年に3カ国を超えることを示している。

1. 全面的に廃止した国
(法律上、いかなる犯罪に対しても死刑を規定していない国)
アルバニア、アンドラ、アンゴラ、アルゼンチン、アルメニア、オーストラリア、オーストリア、アゼルバイジャン、ベルギー、ブータン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、ブルンジ、カンボジア、カナダ、カボベルデ、コロンビア、クック諸島、コスタリカ、コートジボアール、クロアチア、キプロス、チェコ共和国、デンマーク、ジブチ、ドミニカ共和国、エクアドル、エストニア、フィンランド、フランス、グルジア、ドイツ、ギリシャ、ギニアビサウ、ハイチ、バチカン市国、ホンジュラス、ハンガリー、アイスランド、アイルランド、イタリア、キリバス、キルギスタン、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブルク、マケドニア、マルタ、マーシャル諸島、モーリシャス、メキシコ、ミクロネシア、モルドバ、モナコ、モンテネグロ、モザンビーク、ナミビア、ネパール、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ニウエ、ノルウェー、パラウ、パナマ、パラグアイ、フィリピン、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、ルワンダ、サモア、サンマリノ、サントメプリンシペ、セネガル、セルビア(コソボ含む)、セーシェル、スロバキア、スロベニア、ソロモン諸島、南アフリカ、スペイン、スウェーデン、スイス、東チモール、トーゴ、トルコ、トルクメニスタン、ツバル、ウクライナ、英国、ウルグアイ、ウズベキスタン、バヌアツ、ベネズエラ

2. 通常犯罪のみ廃止した国
(軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、法律で死刑を規定している国)
ボリビア、ブラジル、チリ、エルサルバドル、フィジー、イスラエル、カザフスタン、ラトビア、ペルー

3. 事実上の廃止国
(殺人のような通常の犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる。)
アルジェリア、ベニン、ブルネイ、ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、エリトリア、ガボン、ガンビア、ガーナ、グレナダ、ケニア、ラオス、リベリア、マダガスカル、マラウィ、モルディブ、マリ、モーリタニア、モロッコ、ビルマ(ミャンマー)、ナウル、ニジェール、パプアニューギニア、ロシア、大韓民国、スリランカ、スリナム、スワジランド、タジキスタン、タンザニア、トンガ、チュニジア、ザンビア
ロシアは1996年8月に死刑の執行停止を導入した。しかしながら、チェチェン共和国では1996年から1999年の間に執行があった。

4. 存置国 (通常の犯罪に対して死刑を存置している国)
アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、朝鮮民主主義人民共和国、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントキッツネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリア、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ

1976年以降死刑を廃止した国
1976: ポルトガル(すべての犯罪に対して)
1978: デンマーク(すべての犯罪に対して)
1979: ルクセンブルク、ニカラグア、ノルウェー(すべての犯罪に対して)
ブラジル、フィジー、ペルー(通常の犯罪に対して)
1981: フランス、カボベルデ(すべての犯罪に対して)
1982: オランダ(すべての犯罪に対して)
1983: キプロス、エルサルバドル(通常の犯罪に対して)
1984: アルゼンチン(通常の犯罪に対して)
1985: オーストラリア(すべての犯罪に対して)
1987: ハイチ、リヒテンシュタイン、ドイツ民主主義共和国(注1)(すべての犯罪に対して)
1989: カンボジア、ニュージーランド、ルーマニア、スロベニア(注2)(すべての犯罪に対して)
1990: アンドラ、クロアチア(注2)、チェコスロバキア連邦共和国(注3)、ハンガリー、アイルランド、モザンビーク、
ナミビア、サントメプリンシペ(すべての犯罪に対して)
1992: アンゴラ、パラグアイ、スイス(すべての犯罪に対して)
1993: ギニアビサウ、香港(注4)、セーシェル(すべての犯罪に対して)
ギリシャ(通常の犯罪に対して)
1994:  イタリア(すべての犯罪に対して)
1995: ジブチ、モーリシャス、モルドバ、スペイン(すべての犯罪に対して)
1996: ベルギー(すべての犯罪に対して)
1997:  グルジア、ネパール、ポーランド、南アフリカ(すべての犯罪に対して)
ボリビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(通常の犯罪に対して)
1998: アゼルバイジャン、ブルガリア、カナダ、エストニア、リトアニア、イギリス(すべての犯罪に対して)
1999: 東チモール、トルクメニスタン、ウクライナ(すべての犯罪に対して)
ラトビア(注5)(通常の犯罪に対して)
2000: コートジボアール、マルタ(すべての犯罪に対して)
アルバニア(注6)(通常の犯罪に対して)
2001: ボスニア・ヘルツェゴビナ(注7)(すべての犯罪に対して)
チリ(通常の犯罪に対して)
2002: キプロス、ユーゴスラビア(現在ではセルビアとモンテネグロの2つの国)(すべての犯罪に対して)
2003: アルメニア(すべての犯罪に対して)
2004: ブータン、ギリシャ、サモア、セネガル、トルコ(すべての犯罪に対して)
2005: リベリア(注8)、メキシコ(すべての犯罪に対して)
2006: フィリピン(すべての犯罪に対して)
2007: アルバニア(注6)、クック諸島、ルワンダ(すべての犯罪に対して)
キルギスタン、カザフスタン(通常の犯罪に対して)
2008: ウズベキスタン、アルゼンチン(すべての犯罪に対して)
2009: ブルンジ、トーゴ(すべての犯罪に対して)

世界の趨勢は、死刑廃止の方向です。廃止した国から見ると、日本は野蛮な国とされています。

お隣の中国も死刑があります。このようなきれいな方も死刑囚です。


中国では、顔を撃ち抜きます。
川島芳子も北京の刑場の露に消えました。

黒木メイサ扮する川島芳子


男装の麗人川島芳子


処刑された写真 顔を撃ち抜かれているので本人かどうか分からない。
ということで、替え玉説があります。  


Posted by ひろかず at 03:27Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月13日

満州特務機関 歴史の舞台裏


以前コンビニで買ったコミックですが、読み返してみると結構面白く歴史の勉強になりました。
『大日本帝国満州特務機関』扶桑社刊


戦後、GHQの日本統治作戦により、武士道精神を骨抜きにされた日本は、今や完全に平和ボケしてしまい、TPP参加がよいのか悪いのかもよく分からない国民となりました。
明治維新によって開国した頃の日本は、富国強兵の道をひた走り、欧米列強に伍するべく亜細亜の小さな島国ながら、巨大な帝国をつくっていました。敗戦により、軍国主義の反省のため反戦体質になってきました。平和を守ることはいいことではありますが、世界を自分たちのためにいいように動かそうとしている勢力に対し、あまりにも無防備になりすぎかもしれません。
かつて、日本には特務機関といわれる秘密戦士が何千人もいたそうです。歴史の正史には残らない英雄たちの裏舞台をこのコミックは描いていて面白いです。


川島芳子も登場しています。

ラストエンペラー溥儀も。「満州」とは、何だったのでしょう。



川島芳子は、男装の麗人として活躍しています。

日本は、第二次世界大戦で、アメリカに原爆を落とされて負けたという印象のため、アメリカと戦っていたように見えますが、実際の軍隊の70%の戦力は中国と戦っていたのです。特に陸軍は中国の抗日戦線と戦っていました。

巻末には、当時の活躍した大陸浪人や、馬賊、情報将校の特集があります。
学校の歴史勉強では習わなかった部分です。
信州縁の川島浪速も活躍が紹介されています。

約4000人の特務機関員が、大陸方面に配置されていたといいます。
戦う軍隊に目がいきがちですが、実際の戦いは水面下の諜報戦がすごかったんですね。

満州事変以前の日本の大陸進出図。
戦争で負けたために、日本は帝国主義で人の国を侵略していた印象ですが、西欧諸国全体が帝国主義でしたので、それに準じていたと言えます。日本がなかったら、いまでも亜細亜地域は西欧諸国の植民地だったかもしれません。
完全なる平和ボケした日本人はここでもう一度歴史を振り返り、世界の動きを見つめる必要があります。9.11以来、世界はどう見ても、やはり再び戦争状態に突入しているのですから。
川島芳子が、いろいろと取り上げられてくる背景には、死して尚、戦争をさせないために戦いだしている芳子の魂があるのかもしれません。  


Posted by ひろかず at 01:01Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月10日

川島芳子 デマに生きデマに死す⑥ 天津寓居


川島芳子は、1937年7月末に天津が日本軍に占領されると、同地で料亭「東興楼」を経営し、女将になったと言われています。この建物は、その料亭の址か、寓居ではないかと思われますが確証はありません。

東光大楼と書かれていますので、なんとなく近いですかね。

芳子の好きそうな赤い花が咲いています。

結構大きな建物です。
この辺は、当時はフランスの租界でした。  
タグ :川島芳子


Posted by ひろかず at 23:58Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月09日

川島芳子 デマに生きデマに死す⑤ 生死の謎新証


2009年1月に吉林文史出版社(長春市)から出版されています。
川島芳子は処刑されずにその後30年長春で過ごして亡くなったことになっています。


松本市歴史の里の川島芳子記念館も取材されています。  

Posted by ひろかず at 23:59Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月08日

川島芳子 デマに生きデマに死す④ 生死大勝掲秘 


2010年5月に天津人民出版社で発行された本。
川島芳子の生存説を検証しています。


川島芳子の子供時代の様子も紹介。
馬に乗って蟻ヶ崎高校に通ったエピソードもあります。
お城がなぜか、高島城を紹介。
間違いではありませんがふつうは松本城を紹介するというものです。
いずれにしても中国側としても注目しているのですね。  

Posted by ひろかず at 23:57Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月07日

川島芳子 デマに生きデマに死す③ 二百首の詩歌 


『真実の川島芳子』
誰も掴めなかった僕の正体。


この本には、一般の人が知っている男装の麗人とは全く違う芳子の一面が垣間見えます。
写真は、松本高女(現蟻ヶ崎高校)時代のポートレートです。



歌日記。
短歌を綴るのは、完全に日本人の心。


直筆の原稿。  
タグ :川島芳子


Posted by ひろかず at 00:07Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月05日

川島芳子 デマに生きデマに死す② 獄中記


死刑を宣告され獄中にいる間に記された川島芳子獄中記。
この本は、平成10年に出版された復刻版ですが、原本は昭和24年に発行されています。

『男装の麗人』本人が執筆した労作と言うか、遺書のようなものですが、なかなか読み応えがあって面白い本です。

日本と中国と二つの祖国を持つゆえに、両国が戦争に突入していくのを止めるために奔走した川島芳子。
右下の骸骨のイラストと直筆の詩が魂を揺さぶる。

骸骨

行く末は
日本も支那も
骸骨なら
何で討ったり
討たれるぞ
平和の光り
大陸に
日本も支那も
同胞ぞ

討つ人も、討たれる人も、心せよ
同じ亜細亜の、同胞ならずや

                       川島芳子  
タグ :川島芳子


Posted by ひろかず at 00:08Comments(0)真実の川島芳子

2011年11月04日

川島芳子 デマに生きデマに死す① 世界女性十傑


よく世界女性十傑に選ばれる川島芳子。
ウィキペディアでの解説ページも非常に大量です。
川島芳子
信州に縁のある人物ですので、是非皆さんも興味をもっていただければ幸いです。
世界を騒がせた女性、ということでしょうが北京の刑場の露と消えてから、もう60年もたつのに未だに世間を騒がせているのがすごいです。60年たったからこそあらためて取り上げられるのかもしれません。
  
タグ :川島芳子


Posted by ひろかず at 00:05Comments(2)真実の川島芳子

2011年04月25日

川島芳子を偲ぶ会 阿部由美子先生講演会 


24日林友ホールにて東京大学の阿部由美子先生による川島芳子を偲ぶ会主催の講演がありました。

テーマは、「清朝における粛親王家と松本」です。

挨拶をする穂苅会長。

今回は、1900年6月19日に起きた義和団事件の際、川島浪速が列強からこの紫禁城:現故宮博物館を守ったということが本当であったという資料と文献を本邦初公開。

中国で川島浪速が当時非常に評価されていたことも書かれています。

粛親王没後、松本で浪速を囲む第21王子憲東、第1王子憲章、第14王女の川島芳子、第18王子憲開。(左より)

芳子は、世界女性10傑にも選ばれる波乱に富んだ一生をおくりました。

川島芳子前出記事:
モンブラン大好き25 ココス 川島芳子を偲んで
愛と哀しみの王女 川島芳子
男装の麗人 川島芳子 正麟寺


松本もこの日、市議会議員選挙投票日でした。

明日の松本を築くしっかりとした議員の登場を、浪速や芳子も望んでいます。  


Posted by ひろかず at 01:01Comments(2)真実の川島芳子

2010年03月25日

川島芳子を偲ぶ会


本日3月25日は、戦後間もなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となった川島芳子の命日です。
毎年、この時期に穂苅甲子男会長のもと川島芳子を偲ぶ会が開かれます。今年も、21日(日)に、渚の林友カナデアンホールにて行いました。東京大学総合文化研究科博士課程の阿部由美子さんによる講演会を開きました。
「日本人が誤解している川島芳子~清朝王女満州族としての川島芳子」と題して。


満州族なのに、漢奸(漢奸:かんかん は、本来漢民族の裏切者・背叛者のことを表す。現在の中国社会では中華民族の中で進んで異民族や外国の侵略者の手先となる者を指している)ということで扱われたのは、おかしいという意見もでました。確かに。



川島芳子のお墓。

参考:http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e350366.html

  


Posted by ひろかず at 04:41Comments(2)真実の川島芳子

2009年11月19日

モンブラン大好き25 ココス 川島芳子を偲んで



イタリア栗のモンブラン 399円。
全国チェーンのココスの秋のスイーツフェア。
ラム酒につけたイタリアの栗の味。
香りもいいですね。

『愛と哀しみの王女 川島芳子』
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e350361.html
の演劇の後に向かいのココスで食べたら、なんか、芳子の銃殺された写真を思い出しましたよ。
髪の毛が、長すぎで、替え玉と言う説が、当時から言われていましたが、
真相は、謎のまま。
たとえ生きていたとしても、存在そのものが、北京の刑場にて消されたことは、確かです。
日中友好に奔走したのに、両国の権力者からは睨まれ、命を狙われた。
デマを証拠に裁く、未熟で理不尽な裁判は私は許せません。

ちなみにこのモンブランは、髪の毛(マロンクリーム)が長いですが、本物のイタリア栗で、替え玉ではないと思います。face06

ココスのメニューの説明文
イタリア産の栗を使用し、しっとり仕上げたモンブラン。ラム酒が上品に香ります。
※ラム酒を使用しております。未成年の方とお車を運転される方はご遠慮ください。


くれぐれもこのモンブランを食べて酔払い運転で事故らないように、また飲酒運転で捕まらないように、お気をつけくださいませ。
icon17
  


Posted by ひろかず at 00:04Comments(0)真実の川島芳子

2009年11月17日

愛と哀しみの王女 川島芳子



15日には、松本市芸術文化祭50周年記念特別公演で、『愛と哀しみの王女 川島芳子』が上演されました。
総勢400人の市民が創るミュージカル劇は、さすが演劇文化盛んな松本市だなあと思わせました。
芳子もどこかで喜んでいることでしょう。

「有家不能帰 有涙向誰語(家あれど帰る能はず 涙あれど誰にか語らん)」
一見派手な活躍を見せながら、本当は孤独な芳子の真実の一面がよく表現されていました。

芳子の慰霊 http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e342432.html



  


Posted by ひろかず at 01:04Comments(0)真実の川島芳子

2009年11月02日

男装の麗人 川島芳子 正麟寺


東洋のジャンヌ・ダルクと言われた、川島芳子。中国と日本と二つの祖国のはざ間で、男装の麗人として名をはせ、デマに生き、デマに死んでいった女性。七色に輝いていたという彼女は、今でも、全世界に強烈なファンを持っています。
松本高女(現蟻ヶ崎高校)時代、馬に乗って浅間温泉から、高校に通っていたそうです。そのお墓が、川島浪速の養女として、埋葬され、松本市蟻ヶ崎4丁目の正麟寺にあります。以前、芳子の縁の地を探索したいという週刊新潮の記者の方をご案内したことがあります。思慮深くゆったりと落ち着いた記者でしたが、4日後に店頭に並んだ週刊誌には、もうその取材記事が記載されていて驚いたものです。

紹介の看板もあり、訪れる方が後を絶ちません。真紅の薔薇の花を供える粋な方も。

なお、話は源平合戦時、悪源太義平に従った17騎として戦い、後の木曾義仲との宇治川の戦いにおいても橋渡りの先陣の誉れに浴し、一の谷でも九郎義経に従い熊谷次郎直実と先陣を争った平山武者所季重。その子孫が、松本藩士となっていたそうで、松本平山家の墓所が、この正燐寺にあります。(第五代松本市長平山泰もその平山家子孫)
義仲ファンの私としては、平山氏は仇のようなものですが、(笑)。子孫が、義仲の故郷に住し貢献したと言う因縁は、面白いですね。  


Posted by ひろかず at 00:20Comments(2)真実の川島芳子