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地球生まれ NAGANOcity在住

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2010年10月09日

小林有也(うなり)先生

小林有也(うなり)先生
小林有也 1855年7月14日(安政2年6月1日) - 1914年(大正3年)6月9日)
大阪府士族で教育者。幼名は小林 卯之助(こばやし うのすけ)。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。
(ウィキペディアより)
小林有也(うなり)先生
高校時代、6月9日の命日に応管(応援団管理委員会)の方たちとお墓参りに松本市中央の竜興寺に行った想い出があります。
入学式のあと学ランにマントを羽織ったバンカラ応管団長が講堂にお出ましになり、ポケットに手を突っ込んで、いきなり「オメタハナア~!」といきなり怒られながら説教され、度肝を抜かれ、その後応援歌の練習で応管の方たちに恐怖の特訓を受けたのは、懐かしいことです。そんななか、このお墓参りの時の応管の方たちは、頼もしく優しい感じでした。そして、エネルギーのあった偉人のお墓参りをすると、不思議なパワーが体内に湧き出てくるのを感じました。
小林有也先生は、29年間にわたり、松本の長野県尋常中学校の校長先生として教育に力を注ぎ、60歳で在職中に逝去されています。国宝松本城の保存運動の中核として活動した心労が重なったために、早くに亡くなられたのではとも言われています。
この胸像は、生前に建ったもので、小林先生はこの像をさけて、裏門から出入りしたそうです。
その教育の根幹は、自治の精神を養うということで、当時国家主義へ動いていた世相と相反していました。福沢諭吉の独立自尊 (どくりつじそん=他人に頼らず自分の尊さを守ること)の教育精神に通じる考え方ですね。
辞世の言は、

1.諸子はあくまで精神的に勉強せよ
2.しこうして、大いに身体の強健をはかれ
3.決して現代の悪風潮に染み、堕落するが如き事あるべからず

臨終におよんでなお、教育に誠心を注いでいた先生でした。



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Posted by ひろかず at 02:40│Comments(0)歴史探索
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