2012年03月29日
愛を描くシャガール
ユダヤ人芸術家シャガール展図録。どの絵を観てもシャガールだなあと思わせる個性がすごいですね。
キャロも感動する愛の世界。
ユダヤ人というと選民思想があって、ユダヤ人以外は獣扱い、と頭ごなしに理解しているととんでもない。シャガールのように国境も人種も超えて普遍的な愛を描く画家がいるのですから。
愛の三部作
誕生日
街の上で
「私たちは外へ飛んでいく。花盛りの野原を越え、とざされた家々を越え、屋根を越え、庭も教会も越えて」(空飛ぶべラ)
そう、教会もということは宗教も超越した普遍的な愛を表現しているのでしょう。
空に浮かぶ恋人たち。シャガールの故郷言語イディッシュ語では、「非常に嬉しい」は「空中に舞い上がる」という言い方をするそうです。また、空を飛んでいる人は、「自分で道を切り開く」の意味もあるそうです。
シャガールは夢を描いているのではなく、愛と希望を描いているのだそうです。
散歩
気持ちは分かりますね。
ところで、ユダヤ人とはどういう人たちでしょう。
ヨーロッパに於ける「ユダヤ人の定義」は「ユダヤ教に入信しているか、母親がユダヤ人である」ということだそうです。
ユダヤ文化に詳しい内田樹は、ユダヤについて次のように解説しています。
ユダヤ教では偶像を作ることは禁じられています。造形芸術は禁止。ユダヤ教の宗教性の本質は時間性なのだそうです。ユダヤ教の場合、神と被造物のあいだの「時間差」、神の時間先行性こそが神性を構築している、神を空間的表象にすると神性の本質的なところが消えてしまう。だから「神を見てはならない」と。
そのため、ユダヤ人画家ということは本来おかしいし、シャガールはユダヤの異端なのかもしれません。音楽家は多いです。
作曲家として、ヴィエニャフスキ、オフェンバック、ガーシュイン、メンデルスゾーン、コープランド、シェーンベルク、マーラー、マイアベーア、ワイル、タンスマン、ミヨー、バーンスタインなど。指揮者はオーマンディ、クーセヴィツキー、クレンペラー、ショルティ、セル、バレンボイム、モントゥ、ライナー、ワルター、レヴァイン、ベルティーニ、インバル、マゼールなど。ピアニストではアシュケナージ、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、チェルカスキー、ギレリス、ブライロフスキーなど。弦楽器では、パールマン、ズーカーマン、シャハム、ミンツ、ミルシテイン、オイストラフ、マイスキー、フォイアマン、ピアティゴルスキー、ゴールドベルク、エルマン、メニューイン、コーガン、スターン、ハイフェッツなど。
それに比べ画家はすくないです。3人のユダヤ人画家として、スーティン、シャガール、モディリアーニがパリで活躍していました。キリスト教とは大違いですね。
モーセの十戒
ホセ・デ・リベーラ作『モーセ』(1638年):十戒が書かれた石板を持つモーセが描かれている。
十戒(十誡、じっかい、ヘブライ語 עשרת הדיברות)とは、モーセが神から与えられたとされる10の戒律のこと。
モーゼの十戒、十の言葉とも呼ばれる。二枚の石板からなっている。
旧約聖書の出エジプト記20章3節から17節、申命記5章7節から21節に書かれてある。
エジプト出発の後にモーセがシナイ山より授かったと記されている。
1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)
10.隣人の家をむさぼってはいけないこと
1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目(同時に刑法の根幹)である。
ユダヤ教の安息日は土曜日であるが、キリスト教会ではイエスの復活の日である日曜日を主の日と呼び、日曜日を聖日として礼拝している。
キリスト教も旧約聖書と新約聖書が原点で、イエスも偶像崇拝しろとは言っていませんので、あの十字架、磔のイエスは、タブーなはずなんですが、、、。イエスは神、救世主ではないと言う論理でしょうか。
古の聖人といわれる人の三徳としてあげられるポイントは、
主師親の三徳と日蓮大聖人は言われています。
主であり、師であり、親である。
守り、教え、育てる。
日蓮大聖人の開目抄の原文をみてみましょう。
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」
我日本の柱とならむ・・・・・・主の徳
我日本の眼目とならむ・・・・師の徳
我日本の大船とならむ・・・・親の徳
この三大誓願を立てたのは、建長5年4月28日の立教開宗の時です。
この箇所は、最後の方にある「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり」と並んで、開目抄において最も重要な箇所とされています。
日蓮大聖人は、三段論法により、自分が聖人、仏、救世主であると自ら宣言しているのです。
そして、自分だけでなく、これからは信行学の実践により、一人一人庶民皆が救世主、仏の境涯(絶対の幸福境涯)になれる時代が来たことを伝えているのです。
そして、観心本尊抄で、ご本尊を現されます。
これに向かって祈りなさい、と聖人自ら対鏡としての存在を打ち出し、命を書き記した文字曼荼羅を残された。
これは、世界初、唯一の史実ですね。
世界中の人が、どんな人でも、生きているうちに絶対幸せになれるよと、日蓮大聖人の力強いメッセージです。
昨日、半年前に同窓の友人が自殺していたことを知り、かなりショックでした。
諸事情に行き詰ったようですが、力になれなくて残念でした。
ご冥福をお祈りいたします。
Posted by ひろかず at 23:08│Comments(0)
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