2011年04月16日
JAL123便墜落事故とプラザ合意
プラザ合意の会場となったプラザホテル
日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言_完全版)
以下この映像に対する気になったコメントです。
アメリカが円高に釣り上った借金踏み倒しをする目的で強引にプラザ合意を敢行。みせしめの為に墜落させられた123便では、尚生存していた100名近くの乗客と赤ちゃんや、元気に坂を駆け上がってきた女の子まで首を撥ね、他は証拠が残らないVXガスで朝方5時頃までには全て殺害し1名の少年と1名の大人を拉致し尾翼に突き刺さったオレンジ色のファイアービーや地面に落ちたミサイルの破片を約100名の自衛隊員に拾わせヘリで100袋近く吊り上げ回収して第一次到着隊は現場を去った。
もう一つ真実を書きます。日航123便のアメリカ政府が目論み日本政府がそれを無理やり飲まされ合意させられたプラザ合意でしたが、この卑劣な前代未聞の殺人事件は10年以上前から計画されていた内容です。それには過去に修理ミスと疑われる機の存在が必要でした。それに過去に尻餅事故を起こした機体123便が選ばれたんです。飛行機、下田沖、満員の民間人でないと意味がないとアメリカ側は主張します。この意味を皆さん真珠湾から木星号までの経緯で自分なりに調査研究してみれば誰でも簡単に分かります。
と。
何のことか、分かりにくいですが、単なる圧力隔壁云々の原因ではなく、奥が深そうです。
プラザ合意というのは、ウィキペディアによると、
プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)とは、1985年9月22日、G5(先進5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議)により発表された、為替レート安定化に関する合意。呼び名は、会場となったアメリカ・ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。
歴史的な会議ではあったが、事前に内容は決められており、会議自体の所要時間はわずか20分程度であったといわれる。
1980年代前半、レーガン政権下のアメリカでは莫大な貿易赤字が計上され、財政赤字も累積していった(『双子の赤字』とよくいってましたね)。こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、協調的なドル安を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著であったため、 実質的に円高ドル安に誘導する内容であった。これが『プラザ合意』である。
発表の翌日の1日(24時間)で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
日本においては急速な円高によって『円高不況』が起きると懸念されたため、低金利政策を継続的に採用した。この低金利政策が、不動産や株式に対する投機を促進し、やがてバブル景気をもたらすこととなる。
また、円高により日本経済の規模は相対的に急拡大した。「半額セール」とまで言われた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業も増えた。とりわけ東南アジアに直接投資することが急増したため、「奇跡」とも言われる経済発展を促すことになった。
プラザ合意についてはバブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、バブル景気とその後の失われた10年(長期不況)の起点ではないかとの見解がある。
輸出が需要創出の大きな柱である日本が為替レートを恣意的に調節することは大きなリスクを伴う。協調介入によって人為的に円高に導いた結果、輸出産業は競争力を相対的に失うことに繋がった。日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からあった日米貿易摩擦もあると考えられる。
1985年~1988年までの為替レート(日次)。プラザ合意が行われてから数日間で、急激に円高が進行している。
1981年1月~1990年12月までのDEM/USD、FRF/USD、GBP/USD、JPY/USDの推移、1980年代前半は主要通貨安ドル高であり、プラザ合意前後にドル安に転じている。
当時の内閣総理大臣・中曽根康弘、大蔵大臣・竹下登、日銀総裁・澄田智らによって決断されたこの政策は、日本がアメリカの赤字解消を容認した対米妥協策との解釈が一般的である。
戦後40周年記念イベントは、8月15日に大々的に行なわれる予定でお祝いムードいっぱいの日本を、12日の日航ジャンボ機JAL123便墜落事故はすべてイベント取りやめにするほど、愕然とさせた事件でしたね。好景気に浮かれ、敗戦国にもかかわらず戦勝国アメリカの不況を笑っていた日本に対する脅し、そして屈辱的な円高容認を受け入れるきっかけとしてこの日航ジャンボ機JAL123便墜落事故があったという推理は、痛ましいですが、ありうることのような気もします。
「御巣鷹山の真相について」佐宗邦皇代表WF200908例会
佐宗氏はこの数日後に亡くなられている。
非常にショックである。
毒殺されたのか?
電磁波の出る機械で脳梗塞や心臓麻痺を啓発させられて公安の部隊に殺されたんですよ。憎むべきは権力者(政治家)です。
などのコメントがあります。
いずれにしろ、日本の自衛隊と米軍とが絡んでいて分かりにくいですね。
参考:隠された日米戦争
中曽根総理時代の話です。中曽根さんは「日米は運命共同体」発言、「日本列島不沈空母化」、ロナルド・レーガン大統領との間に個人的な親密関係(「ロン・ヤス」関係)を築くなど親米派でした。
首相在任1806日は歴代6位(戦後4位)、中曽根内閣は3次4年11ヶ月に及ぶ20世紀最後の長期政権となりました。ちなみに彼と小泉純一郎を除く近年の首相はことごとく自由民主党総裁の任期を満了できずに退任しています。アメリカのポチ(犬)になりきることが長期政権の秘訣でしょうか。
さすれば、実力がありながら総理に一度もなれない小沢一郎さんは、よっぽどの反米なのでしょう。
次は、小沢さんが民主党を割ってでないなら、放射能の大地をよみがえらせる製品ゼオライトの利権を与えると、3月9日にキャンベル国務次官補と密談があったと言う内容。ベンジャミン・フルフォード氏のインタビュー(3月31日)
BENJAMIN FULFORD ON JEFF RENSE 31 MARCH 2011 BOMBSHELL INFO 1/5
以下リチャード・コシミズ氏のブログでこのインタビューの内容を翻訳してあります。
レンスのインタビューで吠えまくりのベンですが、以下が日本がらみの話のポイントです:
1)小沢一郎とカート・キャンベル国務次官補の会話のテープを入手した。これは3月9日。キャンベルはジェイ・ロックフェラーの使いであると主張。小沢一郎は与党(民主党)を弱体化させるために党を離れたわけだが、それが原因で闇の勢力から様々な告発や容疑を受けている。しかし党への反発を止めれば、福島県のゼオライトの保管場所への自由なアクセスを許可すると言った。
→この時点で放射能対策の話をしているのは、、、、早くない?
2) ベンは、某組の元組長の娘で、ジェイ・ロックフェラーに仕えていると主張する若い女性から3月10日に面会を求められ、11日の午前11時に携帯電話のアラームをセットするように言われた。
→時差で、ちょうど地震の時刻と同時にリンリン!
3)日本に対してさらなるの恐怖を植えつけるために、4月11日あたりに富士山を噴火させる計画中。ベンが話した科学者たちは富士山の地下の水の温度が急上昇中と言い、東京大学は異常な電子波動(?)がアメリカのHAARP施設から富士山に送られているのを探知した。
→ベンがこれを事前にばらしたため、4.11は延期されたようです。
あくまでベン独自のソースを元にした主張をまとめたものです。
とくに3つめ、このような攻撃が行われないように祈りましょう。
Posted by ひろかず at 07:23│Comments(0)
│グローバル・ピース