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2012年09月21日

日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年

今年は、日中国交正常化40周年にあたりお祝いムードの年でしたが、自分の人気回復をたくらむ一部の無責任な政治家の行動のために日中友好も暗雲ムードです。ここは、いたずらに騒がず、冷静な態度と分析が必要です。そして、世界市民としての視点でものを考えましょう。風習や文化の違いはありますが、人間の根本は一緒です。
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明は、日本と中華人民共和国(共産党政権)が国交を回復するために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された共同声明です。一般に日中共同声明として知られています。その記念すべき9月29日が40周年記念日でしたのに残念ですね。

日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年

日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年

国交が正常化されて、40年、残留孤児たちが帰ってこれたり、貿易や人的交流が始まり、今やお互いがなくてはならない隣人同士です。仲良くいきましょう。

この国交正常化を果たした日中共同声明を考察してみましょう。(主にウィキペディアより引用します)

調印
日本側
内閣総理大臣 田中角栄
外務大臣 大平正芳
中華人民共和国側
国務院総理 周恩来
外交部長 姫鵬飛

要旨
・日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。
・日中国交正常化の実現。
・日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
・日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
・中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する
(前出記事:ポツダム宣言に記された日本の領有主権範囲をご参照ください)
中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する
・日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する
・両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する
・日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
・日中平和友好条約の締結を目指す。

以上 要旨です。

日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年
茅台(マオタイ)酒で乾杯(カンペイ)!

この声明の中で、中国側(周恩来)からあらためて、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」していただきました。日本は、侵略の目的の戦争をしたため、賠償を請求されれば、日本の戦後の復興は、50年はなかったと言われています。感謝せねばなりませんね。


この共同声明に至る成果は、その4年前の池田大作創価学会名誉会長の日大講堂での歴史的スピーチが大いに起点になったと言われています。

以下参考記事引用いたします 「日中国交正常化提言」
日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年

戦後永らく閉塞した状況におかれていた日中関係を改善させ、国交正常化への道を開き、今日の日中友好の華を咲かせたのは、紛れもなく1968年9月8日に行われた創価学会第11回学生部総会における池田先生の日中国交正常化提言である。当時の日本および中国を取り巻く国際情勢を考えれば、池田提言が如何に画期的かつ革新的であり、国交正常化を願う多くの人々に希望を与えたものであったかがわかる。1968年といえば、ベトナム戦争は継続中であり、学生部総会の前月にはチェコ動乱が勃発し、まさに騒乱とした状況であった。日本は、東西冷戦の中で西側の一員として、中華民国(台湾)が唯一合法の政権であるという立場を崩さず、中国の共産政権を認めるどころか、敵視していた。松村謙三氏や高碕達之助氏らの尽力によって友好関係の糸は繋ってはいたが、国交正常化という道筋はほとんど立てられていないという状況であった。一つの中国、一つの台湾という考え方も提示されたが、そのような妥協的な弥繕策は、中国側が到底呑める話ではなかった。
一方中国においても、1966年に文化大革命が勃発し、国交正常化の道は深く閉ざされてしまった状況にあった。文革の本質は、今日では毛沢東の奪権闘争であったことが明らかとなっているが、その運動論は西側の文化、文明、資本主義の徹底的な批判に留まらず、中国の伝統的な思想、文化、風俗、習慣(四旧)の打破という破壊的、狂信的なものであった。その上に、毛沢東の個人崇拝と毛沢東思想の絶対化という教条主義が重なって。多くの無婿の人民が悲劇的な運命を辿ったのである。当時、日中国交正常化ということを持ち出せば、「走資派」として弾圧の対象になりかねなかったと思われる。
このような中で周恩来は、文革がこのまま進行すれば西側諸国との断絶による国際的孤立化を招き、中国の近代化を大幅に遅らせてしまうことを深く憂慮していた。更には、毛沢東の陰にいる江青ら四人組の権勢が増大することは、中国を大混乱に陥れ、中国人民に取り返しのつかないほどの大きな損害を及ぼすことを深く危惧していた、しかし、文革はそもそも毛沢東が発動したものであるため、その嵐を押さえることは容易ではなかったのである。そして何よりも危機的であったのは、四人組の最終攻撃対象が周恩来に向けられていたことであった。周恩来は、早くから西側とりわけアメリカ、日本との関係改善および国交正常化の道を開こうと尽力していたが、文革の嵐によってそれはまさに頓挫しようとしていた。
このよう日中双方において閉塞した状況下で、池田提言がなされたのである。池田提言は、一点の曇りもない明確な提言であった。そのポイントは、(1)中国の承認、(2)中国の国連議席回復、(3)日中首脳会談の実現、(4)経済的文化的交流の拡大、および(5)日中貿易の抑制を意図した「吉田書簡」の破棄である。この内容から、保守派を中心に多くの批判を浴びたが。日中友好を希求していた多くの人々には大きな勇気と希望を与えた。中国文化研究者の竹内好氏は「光はあったのだ」という一文を寄せ、その先見性と卓見を高く評価したのである。そしてその光は、周恩来の心にも届き、この提言を国交正常化への道筋とすべく全力を傾倒したのである。文革は継続中で、国内は混乱を極めており、四人組との闘争を続けながら国交正常化の道を切り開いていくことは、並大抵のことではなかった。周恩来の確固たる信念と強靱な精神力がなければ、とても実現不可能な話であったのである。
周恩来は、国交正常化の最大の難関であった国家賠償の問題を、その高潔な精神性と寛容の精神により、霧を晴らすように解消した。それは、国家賠償の放棄という大英断であった。日本の侵略によって多大の被害を被った中国人民にとっては、賠償放棄は承服できない話であったはずである。しかし周恩来は、日本軍国主義と日本人民とを明確に区別し、日本人民も日本軍国主義の被害者であるとの考えから、中国人の復讐心を眠らせ、人民同士の友好への道を切り開いたのである。そしてその結果、1971年に中国は国連の議席を回復し、翌1972年には日中国交正常化が実現したのである。周恩来は既に病魔に冒され、更には四人組との闘争も苛烈を極めていた。その中で、まさに命がけの仕事であった。日中国交正常化は、池田提言という光とそれに呼応した周恩来という傑出した指導者の成し遂げた歴史的偉業であり、どちらが欠けても実現しなかったはずである。1974年12月5日、池田先生と周恩来の歴史的会見は、最初で最後の出会いとなった。その2年後の1976年1月、周恩来は静かに息を引き取ったが、その死を悲しむ人民の慟哭が四人組を滅ぼし、中国を大混乱に陥れた文革を終焉させたのである。

日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年
1974年12月5日,周恩来总理虽抱病在身,但仍坚持在北京三零五医院会见了池田大作。其时周恩来总理76岁,池田大作46岁。

命がけで友好の道、日中に金の橋を架ける人たちもいれば、平気で土足で橋を叩き壊そうとする人たちもいます。どちらが、人類にとって大切な人か、冷静に考えていきたいものです。

以上



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Posted by ひろかず at 02:18│Comments(0)日中友好
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