2012年11月30日
黒部ルート見学会⑦ 壮絶な難工事の『高熱隧道』
黒部川第四発電所前駅。
黒部川第四発電所前から黒部峡谷鉄道欅平駅まで6.5 kmにわたって伸びる路線は「上部軌道」と呼ばれ、黒部ルートの一部となっています。
ほぼ全線トンネルのため通年運行が可能で、1日数本の定期便があります。手動のワイパーがなぜかついています。
しばらく進むと少し広いトンネル空間があって、中島みゆきさんが紅白で歌った地点に写真札がかかっていました。
唯一、仙人谷駅で地上に出て黒部川を渡ります。遮蔽構造(鉄製シールド構造)で冬季はこの窓を閉じるため、通年停車・通過できる構造です。
仙人谷ダム(せんにんだにダム)。富山県黒部市宇奈月町黒部奥山国有林内にある関西電力管理の重力式コンクリートダムです。日本電力が黒部川水系で最後に建設した発電用ダムで、下流の欅平に設けられた黒部川第三発電所(黒三発電所)で発電を行うために建設されました。土木学会の「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2000選」に認定されています。
見事な滝も眺められます。雲切の滝です。
落差は100mを余裕で超えると思われます。
雪の中を落ちる水の流れ、墨絵のようです。
手を出すと、熱いでしょう。
165度から180度の高熱温泉が噴出しているのだそうです。サウナどころではありませんね。
窓が曇ってきました。手動ワイパーの出番ですよ。
湯の花がトンネルの岩盤にビッチリついています。
第二次世界大戦前の国家総動員法のもとに行われた工事でこの資材運搬用のトンネルが建設されましたが、摂氏165度にも達する高熱の岩盤を掘削して建設されたトンネルは「高熱隧道」と呼ばれました。世界でも類を見ない難工事に従事した作業員の中から300人余りの死者を出しているそうです。なんと、黒部ダムの工事よりもこちらのほうが壮絶だったのですね。大町側が破砕帯の水地獄とすれば、こちらは灼熱地獄です。
工事をする人は、皆パンツいっちょです。ホースで、穴を掘っている人の背中に水をかけて、そのホースをかけている人の背中もホースで水をかけてと、全身やけどから体を守るのですが、、熱中症で次々と作業員が倒れ死んでしまう人が続出したようです。当時の労働者の平均月収の10倍以上に当たる2時間5円、日当10円という破格の給金を設定して作業員が駆り集められた人たちですが生きて帰れる保証はありません。地熱でダイナマイトが自然発火する暴発事故が相次ぎ、多くの人命が失われることとなったそうです。
黒部峡谷は日本でも有数の雪崩発生地帯であり、越冬作業は不可能と言われてきましたが、当時の情勢は冬季の作業休止を許さず、阿曽原谷や志合谷などに作業員が宿泊する飯場が設置されました。
1938年12月27日午前3時30分頃、志合谷で大規模な泡雪崩が発生し、直撃を受けた飯場(1・2階鉄筋コンクリート、3・4階木造)の木造部分が峡谷の対岸まで600 m余りも吹き飛ばされ、84名の死者(うち、47名は遺体を収容できなかった)を出す大惨事となりました。
隧道が貫通した後の1940年(昭和15年)1月9日にも阿曽原谷で泡雪崩が宿舎を直撃し、直後に発生した火災などによって死者26名、重軽傷者37名を出したそうです。
宿舎ごと600mも飛ばされ、対岸の山壁に激突、吹き飛ばされた部分が発見されたのは事故から2か月以上経ってからであったそうです。この区間を建設するための過酷な工事を紹介したものとして、吉村昭の小説『高熱隧道』があるそうです。一度読んでみたいと思います。
壮絶な工事の話を聞きながら、この山の稜線沿いの下のトンネルを今電車で走っています。
タグ :『高熱隧道』
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Posted by ひろかず at 23:58│Comments(0)
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