2010年11月30日
歌手のシルヴィアさん死去 「別れても好きな人」

「別れても好きな人」が大ヒットした元ロス・インディオス&シルヴィアの歌手シルヴィア(本名松田理恵子)さんが28日午後1時、肺がんのため、東京都内の病院で死去しました。52歳。大阪市出身。ムード歌謡の老舗バンド、ロス・インディオスに1979年、女性ボーカリストとして参加。同年発表したデュエット曲「別れても好きな人」は、カラオケブームに乗って広く親しまれ、80年の日本レコード大賞でロング・セラー賞を受賞しました。その後、ソロ歌手として活動。3日前のハンバーグと言われた菅原洋一さん(現役歌手です)とデュエットした「アマン」もヒットしましたね。
そういえば、ずう~っと前に、シルヴィアさんと「別れても好きな人」をデュエットしたことがありました。

シルヴィアさんは放送局、私は自分のアパートにおりました。どうやったか?そう、ラジオ番組の企画でしたので、電話で歌ったのです。生放送でしたので、ちょっとあがりましたが。

ご冥福をお祈りいたします。
別れても好きな人:1980年 年間3位 久米宏と黒柳徹子の紹介で。
http://www.youtube.com/watch?v=YWYBgYRSTRs&feature=related
2010年11月29日
京都 金閣寺

京都金閣寺。金閣寺は通称で正式には鹿苑寺。

写真機によって印象が違いますね。 (LEICA V-LUX 20)
前出:http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e609152.html

応永4年(1397)に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しました。応永15年義満が没するまで政治の中心となりますが、彼の死後その子義持によって禅刹に改められ、義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになりました。

昭和62年に金箔の修復作業が行われました。その際に修復にかかった総工費は7億4千万円で、以前使用された量の10倍にあたる20キロの金を使ったそうです。また、金閣寺の説明書によると、以前の五倍の厚さの金箔に張り替えたとされています。拝観料は、一年間でその4倍くらいあるらしいです。

金閣は世の中を表していると言われ、一番下の一層には貴族がいて、その貴族を押さえ込むように二層には武士がいる。そして、それらを支配するのが仏教であり、全体を支配しているのが、今まさに天に向かって羽ばたこうとしている鳳凰(義満)であるということです。一般の庶民は、どこに?


出口近くにあるお茶屋さん。

こういうのも日本文化ですね。


2010年11月28日
京に死す 坂本龍馬の夢

土佐桂浜。坂本龍馬像。


福山雅治さんお疲れ様でした。

海の向こうを見つめた龍馬。大きな夢を果たして、はかなく散っていった英雄。


坂本龍馬と同志中岡慎太郎。
徳川慶喜大政奉還の立役者、坂本龍馬は京都河原町三条下る材木商酢屋嘉兵衛方に下宿していたが、遭難10日前に醤油商近江屋新助方を宿としました。龍馬はもっとも幕府側からねらわれていた大物で、新選組・見廻組の追求が急になり藩邸の堀内慶助らが気をきかせて近江屋を選んだのが仇になったようです。慶応3年(1867)11月15日午後6時ごろ中岡慎太郎が訪ねてきた2、3時間後に刺客に襲われ額を横に斬られ二の太刀は右の肩から左背骨にかけ、三の太刀で更に前額部を裂かれ倒れたといいます。中岡慎太郎は、その時に刺客に切られ17日の夕に息をひきとりました。

二人の遭難の地、京都府京都市近江屋跡。
勤皇・佐幕と対立抗争をくりかえしていた幕末に、「日本はひとつにまとまらなければならない」という大きな視野から、新しい時代を構想していた坂本龍馬。薩長連合(1866年)を成立させ、海援隊を組織し、世界情勢や貿易の必要性を唱えました。

京都霊山護國神社二人の墓。向かって左が坂本龍馬、右が同志中岡慎太郎。

龍馬よ。安らかに。
2010年11月27日
ロールケーキ

近所の方に手づくりのロールケーキをいただきました。フルーツが入っています。
6月6日は、雨ザーザーの日ですが、 ロールケーキの日と認定されています。「6」がロールケーキの「ロ」の音に通じることと、「6」の字の形がロールケーキの巻いている形状に見えることに由来しています。
英語ではスイスロール(Swiss roll)と称し、ジャムを巻いたものを特にジェリーロール(jelly roll)と称します。フランス語ではルーロー (rouleau) あるいは、ルラード (roulade) といいます。フランスのクリスマスケーキの一種である、ビュッシュ・ド・ノエル(「クリスマスの薪」の意味)の台にも用いられています。確かに薪のようですね。
近所の方は、将来息子さんが成長したら、一緒にケーキ屋さんを作りたいのだそうです。ダウン症のお子さんの働く環境を今から準備していくのだそうです。美味しいケーキ屋さんになりそうで楽しみですね。
タグ :ロールケーキ
2010年11月26日
朝もやの奈良井川 泉鏡花「眉かくしの霊」

25日の朝は、松本市内全体的に朝もやに包まれました。
もやの中、幻想的な晩秋の朝は、好きな時間です。
10時頃、車を運転しながら、車窓から片手でパチり。


奈良井川は、昔木曽川と呼ばれていました。奈良井宿から流れてきます。
江戸時代まで「木曽川」とよんできた川の名前を、南下する同名の「木曽川」との混同を避けて「奈良井川」と変えたのは、この奈良井宿に由来するものでした。
泉鏡花の作品に、「眉かくしの霊」というのがあります。雪振りしきる深山の奈良井宿とそこに現れる美しい女の幽霊とが作り出す幽玄な世界に浸ることが出来ます。
幽霊の出てくる場面の描写より
トタンに消えた。――頭からゾッとして、首筋を硬(こわ)く振り向くと、座敷に、白鷺かと思う女の後ろ姿の頸脚(えりあし)がスッと白い。
違(ちが)い棚(だな)の傍(わき)に、十畳のその辰巳(たつみ)に据(す)えた、姿見に向かった、うしろ姿である。……湯気に山茶花(さざんか)の悄(しお)れたかと思う、濡(ぬ)れたように、しっとりと身についた藍鼠(あいねずみ)の縞小紋(しまこもん)に、朱鷺色(ときいろ)と白のいち松のくっきりした伊達巻(だてまき)で乳の下の縊(くび)れるばかり、消えそうな弱腰に、裾模様(すそもよう)が軽(かろ)く靡(なび)いて、片膝(かたひざ)をやや浮かした、褄(つま)を友染(ゆうぜん)がほんのり溢(こぼ)れる。露の垂(た)りそうな円髷(まるまげ)に、桔梗色(ききょういろ)の手絡(てがら)が青白い。浅葱(あさぎ)の長襦袢(ながじゅばん)の裏が媚(なまめ)かしく搦(から)んだ白い手で、刷毛(はけ)を優しく使いながら、姿見を少しこごみなりに覗くようにして、化粧をしていた。
境は起(た)つも坐(い)るも知らず息を詰めたのである。
あわれ、着た衣(きぬ)は雪の下なる薄もみじで、膚(はだ)の雪が、かえって薄もみじを包んだかと思う、深く脱いだ襟脚(えりあし)を、すらりと引いて掻(か)き合わすと、ぼっとりとして膝近だった懐紙(かみ)を取って、くるくると丸げて、掌(てのひら)を拭(ふ)いて落としたのが、畳へ白粉(おしろい)のこぼれるようであった。
衣摺(きぬず)れが、さらりとした時、湯どのできいた人膚(ひとはだ)に紛(まが)うとめきが薫(かお)って、少し斜めに居返(いがえ)ると、煙草(たばこ)を含んだ。吸い口が白く、艶々(つやつや)と煙管(きせる)が黒い。
トーンと、灰吹の音が響いた。
きっと向いて、境を見た瓜核顔(うりざねがお)は、目(ま)ぶちがふっくりと、鼻筋通って、色の白さは凄(すご)いよう。――気の籠(こ)もった優しい眉(まゆ)の両方を、懐紙(かみ)でひたと隠して、大きな瞳(ひとみ)でじっと視(み)て、
「……似合いますか。」
と、莞爾(にっこり)した歯が黒い。と、莞爾しながら、褄(つま)を合わせざまにすっくりと立った。顔が鴨居(かもい)に、すらすらと丈(たけ)が伸びた。
境は胸が飛んで、腰が浮いて、肩が宙へ上がった。ふわりと、その婦(おんな)の袖(そで)で抱き上げられたと思ったのは、そうでない、横に口に引き銜(くわ)えられて、畳を空(くう)に釣(つ)り上げられたのである。
山が真黒になった。いや、庭が白いと、目に遮(さえぎ)った時は、スッと窓を出たので、手足はいつか、尾鰭(おひれ)になり、我はぴちぴちと跳(は)ねて、婦(おんな)の姿は廂(ひさし)を横に、ふわふわと欄間の天人のように見えた。
白い森も、白い家も、目の下に、たちまちさっと……空高く、松本城の天守をすれすれに飛んだように思うと、水の音がして、もんどり打って池の中へ落ちると、同時に炬燵(こたつ)でハッと我に返った。
池におびただしい羽音が聞こえた。
会ってみたい気がしますね、こんな幽霊に。
2010年11月25日
京都 清水寺

京都は、日本の西安です。
お、舞妓さんか、、、、と近づいてみると、舞妓に扮した観光客のおば様でした。
舞妓さんは、20才までなので、明らかに違いました。

本物の舞妓さんが見れると京都に来たかいがあるのですが。


修学旅行で賑わう参道。

清水寺の門が見えてきました。
清水寺の由来(公式ホームページより)は、
音羽山清水寺は、1200余年前、すなわち奈良時代の末、宝亀9年(778)の開創になります。
奈良子島寺の延鎮上人が「木津川の北流に清泉を求めてゆけ」との霊夢をうけ、松は緑に、白雲が帯のようにたなびく音羽山麓の滝のほとりにたどり着き、草庵をむすんで永年練行中の行叡居士より観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授けられ、千手観音像を彫作して居士の旧庵にまつったのが、当寺のおこりであります。
その翌々年、坂上田村麻呂公が、高子妻室の安産のためにと鹿を求めて上山し、清水の源をたずねて延鎮上人に会い、殺生の非を諭され、鹿を弔うて下山し、妻室に上人の説かれたところの清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を語り、共に深く観世音に帰依して仏殿を寄進し、ご本尊に十一面千手観音を安置したのであります。
その後、上人は坂上公を助け、協力して更に地蔵尊と毘沙門天とを造像してご本尊の両脇士とし、本堂を広く造りかえました。
音羽の滝は、清水滾々と数千万年来、音羽の山中より湧出する清泉で、金色水とも延命水ともよばれ、わが国十大名水の筆頭にあげられる。ここより「清水寺」の名がおこったわけであります。 以上
私は、山形村清水寺との関係で、木曽義仲の縁がかなりあると思います。
参考山形村清水寺:
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e354412.html
ものぐさ太郎と清水寺 義仲伝説:
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e458037.html

着物姿は、日本的でいいですね。

仁王は、さすがに怖い、、、。


持ち上げられますか?

これは、現代のコンパクトデジカメで撮影しています。
前出記事と同じアングルで撮った清水の舞台。
コーティングされているので、フレアは出ません。ただし、空の調子は飛んでいます。
ローライフレックススタンダードで写す京都:
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e609152.html

有名な水のみ場。

清水の舞台は高さ13m

飛び降りる覚悟は、、、ないですよね。

上の写真と同じカメラで、ここまでアップできます。(LEICA V-LUX20)

参道の八橋店。

八橋の元祖のお店。

創業当初。もともとは、橋下駄をイメージしていて長方形だったようです。この店のは、今でも皆長方形です。特許などがあったりして、他社では、三角に包んで、味の追求。どっちが美味しいかは、ぜひご自分の舌で。
家の娘たちは、ニッキが、いやらしく、ニッキの入ってない「おたべ」と言うブランドがいいようです。私の修学旅行時代もありました。

2010年11月24日
かっちゃん元気、20年後に乾杯!

かっちゃんこと中村勝雄さんと20年後を目指し、お互いにがんばりましょうと決意。
20年後は、かっちゃんの子供たちも皆成人しますね。美味しいお酒をのみましょう。
かっちゃん記事特集:http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/search.php?search=%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%8B%9D%E9%9B%84

かっちゃんは顔が広いので、いろいろな方に声をかけられます。
この女性も、何か決意しにやってこられたようです。

生きていれば、いろいろと煩わしいこと、苦難もいろいろとありますが、
何があっても楽観主義でいきましょう!
何があっても笑顔でいきましょう!

世の中は、どんどん便利にバリアフリーになってきます。
20年後は、どんな社会になっていることでしょう。
2010年11月23日
2010年11月22日
2010年11月21日
ローライフレックススタンダードで写すキャロ

ローライフレックススタンダードで、キャロを写してみました。なんとなくノスタルジックですが、80年前のカメラにしては、ちゃんと撮れています。爽やかな日差しの感じがよく出ていて、全体に軟らかい描写ですね。
前出記事:ローライフレックススタンダード
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e606410.html

室内の逆光の中で。前の記事と同じ時に撮ったものですが、カーテン生地は、デジカメの時には完全に飛んで白くなっていたのが、ラティチュードの広いフィルムのためかカーテン生地が写っています。戦前のノンコートのテッサーというレンズで、逆光には非常に弱いのですが、逆に軟らかいベールを覆ったような描写で空気感がでています。安い毛布が高級な生地に見えますね。

カーテンが白く飛んでいる
前出記事:ローストチキンと冬の根菜ラップ
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e607088.html
ラティチュードについて参考
前出記事:虹を掴む男 アナログカメラとフイルム
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e575416.html