2011年01月31日
サッカー・アジア杯 日本優勝!香川選手の想い

4度目の優勝を果たした日本。本田選手を中心によく頑張りましたね。

苦しいカタール戦で、2得点をあげ大活躍した香川選手が、韓国戦で骨折し、出場できず残念でした。

歯がゆい想いで、健闘を祈る香川選手。

海外で大成長し、今大会一番注目を集めていた香川選手は、足がぼろぼろになるほど人一倍猛練習をしていました。

今回骨折した痛々しい足を抱えながら、決勝を見守っていた香川選手。

決勝の舞台に辿り着けなかった選手の想いを試合に込めて戦うジャパン。

延長戦に入り、前田選手に代わり李忠成選手を投入。闘志のこもった目がいいですね。

期待に応え、李選手は絶妙なボレーシュートを決めました。

チャンスが来ると信じていました、と。そのチャンスを見逃さなかった集中力の勝利でした。

ザッケローニ監督の采配も素晴らしかったですね。

優勝する喜びを分かち合い、さらに成長するザック・ジャパン。

試合に出れなかった香川選手に三浦(カズ)選手からメールが。影の選手に温かいメールをくれる気配りのカズにいつか日本の監督をやってもらいたいですね。

香川選手の早い回復と、今後のご活躍に期待しています。
2011年01月30日
木曽義仲が焼き討ちにした法住寺

京都等身大の1000体の観音立像で有名な三十三間堂の隣にある法住寺。
法住寺合戦(ほうじゅうじかっせん)は、平安時代末期の寿永2年(1183年)11月19日、木曾義仲が院御所・法住寺殿を襲撃して、後白河法皇と後鳥羽天皇を幽閉、政権を掌握した軍事クーデター。その舞台となったお寺です。
2011年01月29日
2011キャロ・ドックイヤー

今年の10月で、満6歳になりますキャロです。
女の子の家なので、適当にかまわれています。

クーねーちゃんは、ひょうきんにかまってくれます。

ドックイヤーというのは、犬は人間の約7倍の速さで成長し老いていくことから、特にIT業界などの、時代の移り変わりの速さをいます。 IT業界に限らず、本当に一年が脱兎のごとくあっという間にすぎてゆきますね。
もう1ヶ月終わろうとしてるけど、2011年は兎年だからね、キャロ。
兎のカッコさせなくても分かってるよ。
撮影はライねーちゃんでした。
2011年01月28日
木曽義仲 新マンガ日本史

先日発売された朝日新聞出版の1/9・16号新マンガ日本史『木曽義仲』。
マンガで分かりやすくハイライトシーンが楽しめます。

奇襲『火牛の刑』で大勝利した倶梨伽羅峠の戦いの場面。

後白河法皇を幽閉し、法住寺殿を焼き討ちにした場面。

巴御前との別れのシーン。

クローズアップ資料ページ。
義仲は源氏一のいい男と紹介されています。
2011年01月27日
コロッケの秘話 やる樹家

コロッケ。そういえば物真似タレントのコロッケは、なぜコロッケというのでしょうか。実は本名なんです。というのは冗談で、瀧川 広志(たきがわ ひろし)という熊本出身者で、今年50歳。1979年に上京し東京のショーパブで形態模写をしていましたが、「ロッキー」のあだ名で知られた経営者と同じアフロヘアーのスタイルで、風貌が似ていたことから「小ロッキー」というあだ名が付いたそうです。そこからコロッケという芸名が付いたとされています。 本人は以前、「顔がコロコロ変わるから」と言う理由でコロッケという芸名にしたとも語っており、これ以外にも様々な説があるようです。
実は、中学生のころから真珠腫性中耳炎による聴力障害で右耳の聴力をほぼ失っていることを近年告白しました。子供時代両親の離婚で母と姉の3人家族となり、生活が厳しくなっていたそうです。7歳の頃にプールで耳に水が入り中耳炎となりましたが、病院で治療したようです。その後中耳炎が再発した際、生活が厳しかった事もあって母に言い出せずにそのまま放置、さらに膿んでしまって耳から悪臭が漂い、学校でいじめられてしまいますが、母に迷惑を掛けまいと黙っていたようです。そして7年後の14歳の時に耳に激痛が走り、とうとう聴こえなくなってしまったのです。
「この障害で骨伝導で音を聴くことになったことが逆に音に対する感覚が敏感となり、現在の芸風確立につながっているそうです。またこのことが芸人を目指すきっかけとなった」と本人は語っています。 人は、大いに芸を見て笑っていますが、案外芸人はいろいろな辛いことを乗り越えて来たからこそ、人を愉しませる力を発揮しているんですね。
1980年代後半、美川憲一のものまねが茶の間に大受けしました。長野県諏訪市出身の演歌歌手、タレントの美川憲一(本名:百瀬 由一)、は1970年代後半以後から人気が低迷し、1984年に大麻事件を起こしてからは表舞台から消えていましたが、1989年の『ものまね王座』にご本人として登場したことから奇跡的に人気が復活。以来、コロッケを「芸能界に帰してくれた恩人」として感謝していて、再び売れっ子となった現在でも芸能界の後輩としてコロッケを可愛がっています。また1991年、『第42回NHK紅白歌合戦』(NHK)に美川が復活出演した際にもコロッケはものまねで登場し、一緒に「さそり座の女」を歌いました。ものまねされるのを嫌がる人もいますが、お互いに大変よかったという例ですね。
そんなエピソードを聞くと、やる気がでますね。
やる樹家 長野県上伊那郡箕輪町大字中箕輪1508-1
電話0265-71-1077
2011年01月26日
日本、PK戦制し決勝進出!

風邪気味だったので早く寝たかったのですが、延長戦にもつれ込み激闘の試合でした。
PKでとられた1点を追いかける形となった日本は前半36分、本田圭佑選手から長友選手へスルーパス。パスを受けた長友選手が倒れながらエリア中央にパスし、走りこんだ前田選手が見事に同点ゴールを決めたシーンです。ゴールへ突っ込む勇気が今回よく出ていました。

試合は延長戦へ。前半7分、岡崎選手がエリア内で倒されPKを獲得。このPKを本田選手が蹴りましたが、GK正面で弾かれてしまいました。前回は結果オーライでしたが、真ん中はとられる危険があるのでダメだってば。でも、こぼれたところに途中出場の細貝選手が走りこみ、豪快に勝ち越しゴールを決めました。監督の采配が光りましたね。

試合終了間際に同点ゴールを許し、勝負はPK戦に持ち込まれました。
韓国の選手のメンタルな強さ、負けじ魂はすごいものがあります。

日本からのサポーター。カタールまでご苦労様です。

PK戦では、1番手で本田選手が真ん中をやめて、見事決めた後、GK川島選手が韓国の1本目をファインセーブ。2人目の岡崎選手も落ち着いて決めました。その後も川島選手が韓国の2人目をブロックしました。日本は3人目、試合では大活躍した長友選手が外しましたが、韓国の3人目はゴール外に外し2-0、そして4人目の今日誕生日の今野選手がバースデーゴールを決めて3-0で韓国を撃破しました。川島選手の気迫が韓国選手を上回ったと言えるでしょう。

それにしても、韓国選手は、はずしすぎですね。中一日休んだだけで、試合で限界を超えて韓国の選手は皆戦っていたので、力が残っていなかったのでしょう。ある意味で本当に執念のある韓国に脱帽です。この悔しさが次にまたパワーアップして、日本に挑んでくることでしょう、いいライバル国ですね。韓国は日本にこれで38勝21分け12敗ということです。
2011年01月25日
ものぐさ太郎と茶碗蒸し

ものぐさ太郎って松本の人だったって知ってた?
知ってるさ、パパのことでしょ。
・・・。

カッパ寿司で、茶碗蒸しがなぜか食べたくなるんだよね。
100円以上するのとらないでよ、あ、今日はパパのおごりだからいいよ。
いつの間にそういうことに、、、、ま、いいけど横からスプーンでとらないでよ。
ものぐさ太郎の子供だからね。
ものぐさ太郎と清水寺 義仲伝説
タグ :ものぐさ太郎
2011年01月24日
木曽義仲の四天王 今井兼平の墓

琵琶湖の畔、粟津原、石山駅のすぐそばに今井兼平のお墓があります。
江戸時代になって、兼平を尊敬した膳所(ぜぜ)藩主本多俊次(ほんだとしつぐ)が墓を建立したされています。現在の墓は、今井家末裔(まつえい)によって整備され、「今井四郎兼平」と彫られた丸みのある石でできています。

今井四郎兼平は、木曽義仲の四天王のひとり。主従関係というより、幼馴染で兄弟のような間柄でした。
粟津原の合戦で、主君木曽義仲の最期を見届けた兼平は、勇猛にも単騎敵中に入り込み、
「今は誰をか囲はんとていくさをすべき。これ見よや、剛の者の自害する様。手本にせよや、東国の殿ばら」
と言って、太刀の切っ先を口にくわえて馬から逆さに落ちかかり、わが太刀に貫かれて死んだといいます。
手本にするには壮絶過ぎる最期ですね。

鎮魂碑。
松本にある今井神社は、今井兼平の住居跡で神社となっています。

謡曲(ようきょく)「兼平」の紹介立て札。

粟津原の合戦の碑。

今も涼やかな琵琶湖。
粟津原の合戦後、信州に帰ってきた義仲家臣たちの一部は、主君の遺品など持ち帰り朝日村に居住し、その末裔は粟津原という姓を名乗っています。朝日村に粟津原という姓の多い集落が今もあり、ご苦労様なことでと思っていましたら、私の祖母の実家は朝日村で粟津原姓ということが数年前分かりました。主君義仲を復権する血がながれているのかも。
2011年01月23日
『レッドクリフ』の迫力

地上波初の「レッドクリフ」2週連続で楽しめました。

三国志は昔から好きで、横山光輝の大連作を一体誰が主人公なのだろうと思いながら読んだ記憶があります。
主人公だと思っていた登場人物たちがいつか倒れても、話が続いていく取りとめのない超大作ですね。
「レッドクリフ」は、そのハイライトシーンの一つである「赤壁の戦い」を描いたもので、最新のCGを使い臨場感あふれる戦闘シーンがすごい迫力でした。

曹操は、なぜかいつも悪役として描かれていて可愛そうですね。吉川英治の『三国志』が劉備を正義、曹操を悪とした軸で上手く描いているので、それが現代の三国志の原点にされているようです。一番の主役は諸葛孔明ですが、孔明のなくなった後の時代までしっかり描いていますから、必ずしもですが、、、。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」(蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と五丈原で対陣中に病死してしまいました。軍をまとめて帰ろうとした蜀軍を仲達はただちに追撃しましたが、蜀軍が反撃の構えを示したため、仲達は孔明の死の知らせは何か策略があるのだろうと疑い、退却したという『三国志』の故事)ということもあって、やはり孔明が主役かも。

美人にはどんな英雄も敵いません。

戦場のあわれな恋物語も実際沢山あったことでしょう。

軍師の知恵比べが面白いですね。

一度、中国の本当の「赤壁の戦い」の史跡の場所を観にいくのが夢です。
2011年01月22日
日本逆転4強、伊野波選手が決勝弾 カタール戦

サッカーのアジアカップ21日。2大会ぶり4回目の優勝を目指す日本は、開催国カタールと対戦。日本は退場者を出し10人になってしまいましたが、後半44分に伊野波(鹿島)選手が決勝点を挙げ、3-2で逆転勝ちしました。
値千金のゴールでした。

日本は後手に回りましたが、この香川(ドルトムント)選手の2得点の活躍で2度にわたって追いつきました。

嬉しい勝利です。

ザッケローニ監督も何度もガッツポーズ。喜怒哀楽が分かりやすい監督ですね。
「日本はいかにテンポを上げて、いかにスペースのあるところでプレーをするか、ということだった。本音を言うとやりたいプレーができたわけではないが、比較的、狙い通りにはできた。狭いところに行ってしまうと相手のフィジカルに押しつぶされてしまうので、広いところでやろうと話をした」
テンポ、スピード感は、この監督の下で非常についてきた感じですね。