2013年07月18日
日中友好キャンプin駒出池⑩ 動画編
駒出池キャンプ場の様子をいくつか動画で公開いたします。
http://www.youtube.com/watch?v=IOS2I-_f7Bk
魚つかみ捕り
http://youtu.be/Op71FgmULJs
バウムクーヘン作りとバーベキュー
http://youtu.be/8cMd6BzJInY
キャンプの長い夜と朝
日本語と中国語と入り乱れてのイベントの様子が動画ではよく分かりますね。程永華中国大使も青年時代に参加したという伝統の長野県の日中友好キャンプです。将来の大使もこの中にいらっしゃるかも知れません。
2013年07月17日
2013年07月16日
日中友好キャンプin駒出池⑧ 朝からカレーライス
朝食の準備をします。
女性委員会の方たちがいろいろと下ごしらえをしてくれました。
今回、カレーのルーが皆違う鍋なので、どれを選ぶのか、豆取り競争で決めました。
ジャガイモを剥いたり、野菜を切ります。
火おこしも、工夫しないとなかなかおきません。
迎え酒の丸ちゃん。運転があるのでアルコールフリーですが、、、。

布施事務局長のカレー作りの極意を伝授、桃色チームが一番早く美味くできました。
朝から定番のカレーです。
皆で食べると、またおいしいですね。ハオチー!
2013年07月15日
2013年07月14日
2013年07月12日
日中友好キャンプin駒出池⑤ キャンプファイヤー
大勢でやるキャンプは、やはりこのキャンプファイヤーが楽しみです。
今回、梅雨時期でしたので湿った樹に火がなかなか燃え上がらず、苦労しました。
ウララ~ウララ~ウラウラで、定番の踊りです。
童心に帰り、花火を楽しみます。
グリーンの髪の毛がかわいらしい中国の女の子ですね。
2013年07月11日
日中友好キャンプin駒出池④ 乾杯
日中友好乾杯!
キャンプの定番はやはり焼肉ですね。
燻製したのも、焼きます。
きゅうりも味噌マヨで美味い!
つかみ取りのニジマスもいい味になりました。
みんないっぱい食べたかな。
カッコいいバイクですね。
2013年07月10日
日中友好キャンプin駒出池③ バームクーヘン作り
今年は、バームクーヘンをみんなで作ってみました。
あと、燻製で肉やチーズなど。
だんだん太くなります。
翌日の流しソーメン用の竹を割ります。
これで大勢の分のソーメンを一度に流せます。
美味しいバームクーヘンが焼けました。
手作りの味もいいですね。
2013年07月09日
日中友好キャンプin駒出池② ニジマスつかみ取り
キャンプ場内の小川でニジマスのつかみ取り大会です。
結構、皆ズボンぬれるのも厭わず夢中でした。
班ごと、たくさん捕った数ではなく、大物を捕ったかどうかで勝負でした。
駒出池がきれいです。
県花リンドウかと思いましたら、違います、ウツボグサだそうです。。。
はらわたを取りのぞき、調理します。
指にかみついた?
コテージで皆泊まったのですが、大人数であふれた私はテントで。
いろんなお花が咲いています。クリンソウだそうです。
2013年07月08日
日中友好キャンプin駒出池① 開会式
長野県日中友好キャンプが佐久穂町駒出池キャンプ場にて開かれました。
西村青年委員長、今回の友好王国の国王の挨拶。
注意事項の説明、中国語で訳す官さんの流暢な話しぶりに拍手が、、、。中国人なのでうまいわけですが。

西堀県日中理事長の挨拶。
司会は五十嵐さん。
今回、キャンプ全体の手配管理の中心として活躍されました。
井出県日中会長挨拶。
造り酒屋の井出会長より、オリジナルそば焼酎の差し入れがありました。
ビンの窓から、富士山が見えるボトルがいいですね。
峠という字は、日本のオリジナル漢字だそうです。
日本は、世界でも峠が実に多いので、できた言葉ですね。
山の上下で、意味が分かりやすいです。
記念写真。
100名近い参加者です。
2013年06月04日
第23回長野県日中友好協会青年委員会総会
長野市もんぜんぷら座にて第23回長野県日中友好協会青年委員会総会が開かれました。
新任の西村委員長中心にますますの躍進を期待します。
穂苅顧問の記念講演。
懇親会も盛り上がりました。
2013年02月26日
第36回日中友好スキー交流会in木島平
ゲンちゃんの司会進行のもと、今年の日中スキー交流会が始まりました。
半分は中国の方たちなので中国語でご挨拶。
100人以上集まりました。
生まれて初めてスキーをする中国留学生たち。
止まり方から学びます。
だいぶ上手になってきました。
油断は禁物です。
中国大使館からのお客様。
盛大な夕食交流会が開かれました。
乾杯!
地元の子供たちが威勢の良い太鼓を披露。
女性委員会が恒例のフラダンス。
僕らには尖閣問題なんて、どうでもいいんだよ。
日本人以上に、中国人はカラオケ大好きです。
二日目は大雪でしたが、飯山ではこういう日が普通の冬の日です。
感想を発表する留学生。
本当に楽しかったですっ!

2013年02月10日
春節御祝会
日中友好協会主催の春節が開かれました。
中国では、今日がお正月です。
青年委員会主導で、楽しいパーティとなりました。
ゴスペルのグループ松本グレースクワイアの皆さんが合唱してくれました。
政治面ではまだまだ硬直していますが、民間交流を盛んにして平和な国際交流をしていきたいものです。
2013年01月25日
公明党山口党首訪中成功
山口党首、お疲れ様でした。
尖閣諸島の問題は、日中双方に莫大な経済的な損失を出しました。特に中国からの観光客で潤っていた日本全国の旅館、また食品卸業の方々は、散々でした。何が利益か不利益か、しっかりと考えた上での政治対話をじっくりとすべきですね。
読売新聞ニュースより転載
【北京=今井隆】公明党の山口代表は25日午前、北京市内の人民大会堂で共産党の習近平(シージンピン)総書記と約70分間会談し、安倍首相からの親書を手渡した。
山口氏は、首相と習氏による日中首脳会談の開催を提案、習氏は「ハイレベルの対話が重要で、真剣に検討する。環境を整えていくことが重要だ」と述べ、前向きに検討する意向を示した。
習氏が日本の政治家と会談するのは、昨年11月の総書記就任後初めて。習氏は冒頭、「中日関係が特殊な情勢に直面している中、訪中された。山口氏の来訪を重視している」と述べた。
尖閣諸島(沖縄県石垣市)を巡る問題について、習氏は「(日本との)立場の違いはあるが、対話と協議で解決する努力が重要だ」と述べた。山口氏は「対話を重ねていけば必ず解決できる」と応じた。
安部首相の親書は何が書いてあったのでしょうか。
国は違っても、同じ地球人です。仲良くいきましょう。
2013年01月24日
日中平和友好祈念像
日中平和友好祈念像(ホクト文化ホール)
1983年 吉村知事を団長に長野県日中友好訪中団が河北省を友好訪問・友好提携に向けて準備で合意/長野県に張曙光省長を迎えて長野県と河北省の友好提携に調印(11月11日)
1993年 友好提携10周年を記念して呂伝贊省人民代表大会主任一行来県。河北省展開催、河北省雑技団県内公演、河北省から長野県に漢白玉石製の日中平和友好祈念像が贈呈され、県民文化会館(ホクト文化)ホールに設置される。
本年は長野県と中国河北省と友好提携30周年になりますね。
公明党山口代表が、与党党首として訪中していますが、中国との関係を修復強化を図っていく重要な訪中ですね。成果を期待しています。
以下MNSニュースより転載です。
公明代表、中国で「池田名誉会長の精神受け継ぐ」
中国を訪問中の公明党の山口那津男代表は24日の中国共産党・王家瑞中央対外連絡部長との会談の冒頭で、支持母体である創価学会の池田大作名誉会長の名前を持ち出し、公明党と中国との関係の深さを強調した。山口氏は「公明党の創立者である池田名誉会長が日中国交回復に大きな役割を果たした。その基本的な精神をわれわれも受け継がなければならない」と訴えた。
安倍晋三首相から習近平総書記宛ての親書を託されている山口氏だけに、25日の帰国間際になっても設定されない習氏との会談実現にかける強い思いが表れたようだ。(北京 力武崇樹)
以上
国際問題はそのまま景気にも影響しますので、正念場ですね。
2012年11月29日
中国の72歳おじいちゃん、女装モデルでネット界のスターに!

中国のショッピングサイト「タオバオ」の女性向けのアパレルショップ店主(HPはTmallに出展しているYoekou←面白い!


[広州 26日 ロイター]によると、
農業を営んでいた湖南省出身の劉さんは、寒さをしのぐため同国南部広州にある孫の自宅を訪問したそうです。その際、呂さんが友人4人と予定していたモデルの写真撮影が急きょキャンセルになったという。そこで、一肌脱いだのが劉さんだったようです。
「部屋に入ると、服が片付けられていた。その服はとてもかわいくて、興味がわいた」。ロイターのインタビューに応じた劉さんは、「ジャケットを試しに着てみたら、孫たちも私も面白いと思った。サイトに服を着た私の写真を載せてもいいかと聞かれて、『もちろん』と答えたよ」と、モデルになったいきさつを説明しているそうです。

普段の劉さん。
ひょうきんですね。
この年になって、女装に目覚めるというのも面白いですが、潜在的にはこういう方は沢山いるのかも知れません。会社の慰安旅行や、結婚式の余興で女装して妙にしっくりくる方、、、、スターかも。

タオバオ日本語サイト http://taobuy.jp/
中国人もおしゃれになりましたね。人民服はどうなったの?
2012年09月29日
政府、尖閣の歴史問題化を警戒! ますます不利な立場に
日本政府による尖閣国有化後、中国は領土と歴史をからめ始めました。

以下MSN産経ニュースより一部引用転載
次期国家主席に内定している国家副主席、習近平も19日の米国防長官、パネッタとの会談で「戦後の国際秩序に挑戦する日本の行為を国際社会は絶対に容認しない」と述べた。トウ小平をはじめこれまでの指導者が使わなかった表現である。
尖閣問題がなぜ歴史問題なのか。中国政府によれば、尖閣は日本が清国から奪い取った島で、1943年のカイロ宣言では「清国人より盗取したる一切の地域」を中国に返還するとしている、というわけだ。
宣言をまとめたカイロでの会談には米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルに加え、中華民国国民政府主席の蒋介石が参加した。「戦後秩序」を強調することで、尖閣諸島を米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約第5条の「適用対象」としている米国と、日本の間にくさびを打ち込むねらいがあるとみられる。
以上
参考前出記事:ポツダム宣言に記された日本の領有主権範囲
尖閣問題は、泥沼化してきています。
中国が韓国と組んで、日本の侵略の歴史、敗戦の史実に踏み込んで来ると、いかに日本が主張しようと、日本の負けです。ここは、境ということで、けりをつけ、漁業権他ひとつひとつ再度契約を結ぶ方が賢いと思います。
古来よりの日本固有の領土という考えは、通用しないことを再度認識して、国際法廷まで問題を提起しない方が得策です。

なお、ここはユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいて、尖閣諸島は沖縄から年々その距離が離れています。実際は南西諸島から中国大陸に続く大陸棚の上にあるのです。海底プレート的には中国に属することは確かです。綱引きでは勝ち目はありません。日本は、実効支配しているのですから、ことを荒立てない方が有利なのです。
このままだと国際的に尖閣領有権を奪われます。国有化費用はどうなるのでしょう。これこそ、ムダ遣いですね。

以下MSN産経ニュースより一部引用転載
次期国家主席に内定している国家副主席、習近平も19日の米国防長官、パネッタとの会談で「戦後の国際秩序に挑戦する日本の行為を国際社会は絶対に容認しない」と述べた。トウ小平をはじめこれまでの指導者が使わなかった表現である。
尖閣問題がなぜ歴史問題なのか。中国政府によれば、尖閣は日本が清国から奪い取った島で、1943年のカイロ宣言では「清国人より盗取したる一切の地域」を中国に返還するとしている、というわけだ。
宣言をまとめたカイロでの会談には米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルに加え、中華民国国民政府主席の蒋介石が参加した。「戦後秩序」を強調することで、尖閣諸島を米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約第5条の「適用対象」としている米国と、日本の間にくさびを打ち込むねらいがあるとみられる。
以上
参考前出記事:ポツダム宣言に記された日本の領有主権範囲
尖閣問題は、泥沼化してきています。
中国が韓国と組んで、日本の侵略の歴史、敗戦の史実に踏み込んで来ると、いかに日本が主張しようと、日本の負けです。ここは、境ということで、けりをつけ、漁業権他ひとつひとつ再度契約を結ぶ方が賢いと思います。
古来よりの日本固有の領土という考えは、通用しないことを再度認識して、国際法廷まで問題を提起しない方が得策です。

なお、ここはユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいて、尖閣諸島は沖縄から年々その距離が離れています。実際は南西諸島から中国大陸に続く大陸棚の上にあるのです。海底プレート的には中国に属することは確かです。綱引きでは勝ち目はありません。日本は、実効支配しているのですから、ことを荒立てない方が有利なのです。
このままだと国際的に尖閣領有権を奪われます。国有化費用はどうなるのでしょう。これこそ、ムダ遣いですね。
タグ :尖閣
2012年09月21日
日中共同声明の考察と祝国交正常化40周年
今年は、日中国交正常化40周年にあたりお祝いムードの年でしたが、自分の人気回復をたくらむ一部の無責任な政治家の行動のために日中友好も暗雲ムードです。ここは、いたずらに騒がず、冷静な態度と分析が必要です。そして、世界市民としての視点でものを考えましょう。風習や文化の違いはありますが、人間の根本は一緒です。
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明は、日本と中華人民共和国(共産党政権)が国交を回復するために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された共同声明です。一般に日中共同声明として知られています。その記念すべき9月29日が40周年記念日でしたのに残念ですね。


国交が正常化されて、40年、残留孤児たちが帰ってこれたり、貿易や人的交流が始まり、今やお互いがなくてはならない隣人同士です。仲良くいきましょう。
この国交正常化を果たした日中共同声明を考察してみましょう。(主にウィキペディアより引用します)
調印
日本側
内閣総理大臣 田中角栄
外務大臣 大平正芳
中華人民共和国側
国務院総理 周恩来
外交部長 姫鵬飛
要旨
・日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。
・日中国交正常化の実現。
・日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
・日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
・中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
(前出記事:ポツダム宣言に記された日本の領有主権範囲をご参照ください)
・中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
・日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
・両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
・日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
・日中平和友好条約の締結を目指す。
以上 要旨です。

茅台(マオタイ)酒で乾杯(カンペイ)!
この声明の中で、中国側(周恩来)からあらためて、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」していただきました。日本は、侵略の目的の戦争をしたため、賠償を請求されれば、日本の戦後の復興は、50年はなかったと言われています。感謝せねばなりませんね。
この共同声明に至る成果は、その4年前の池田大作創価学会名誉会長の日大講堂での歴史的スピーチが大いに起点になったと言われています。
以下参考記事引用いたします 「日中国交正常化提言」↓

戦後永らく閉塞した状況におかれていた日中関係を改善させ、国交正常化への道を開き、今日の日中友好の華を咲かせたのは、紛れもなく1968年9月8日に行われた創価学会第11回学生部総会における池田先生の日中国交正常化提言である。当時の日本および中国を取り巻く国際情勢を考えれば、池田提言が如何に画期的かつ革新的であり、国交正常化を願う多くの人々に希望を与えたものであったかがわかる。1968年といえば、ベトナム戦争は継続中であり、学生部総会の前月にはチェコ動乱が勃発し、まさに騒乱とした状況であった。日本は、東西冷戦の中で西側の一員として、中華民国(台湾)が唯一合法の政権であるという立場を崩さず、中国の共産政権を認めるどころか、敵視していた。松村謙三氏や高碕達之助氏らの尽力によって友好関係の糸は繋ってはいたが、国交正常化という道筋はほとんど立てられていないという状況であった。一つの中国、一つの台湾という考え方も提示されたが、そのような妥協的な弥繕策は、中国側が到底呑める話ではなかった。
一方中国においても、1966年に文化大革命が勃発し、国交正常化の道は深く閉ざされてしまった状況にあった。文革の本質は、今日では毛沢東の奪権闘争であったことが明らかとなっているが、その運動論は西側の文化、文明、資本主義の徹底的な批判に留まらず、中国の伝統的な思想、文化、風俗、習慣(四旧)の打破という破壊的、狂信的なものであった。その上に、毛沢東の個人崇拝と毛沢東思想の絶対化という教条主義が重なって。多くの無婿の人民が悲劇的な運命を辿ったのである。当時、日中国交正常化ということを持ち出せば、「走資派」として弾圧の対象になりかねなかったと思われる。
このような中で周恩来は、文革がこのまま進行すれば西側諸国との断絶による国際的孤立化を招き、中国の近代化を大幅に遅らせてしまうことを深く憂慮していた。更には、毛沢東の陰にいる江青ら四人組の権勢が増大することは、中国を大混乱に陥れ、中国人民に取り返しのつかないほどの大きな損害を及ぼすことを深く危惧していた、しかし、文革はそもそも毛沢東が発動したものであるため、その嵐を押さえることは容易ではなかったのである。そして何よりも危機的であったのは、四人組の最終攻撃対象が周恩来に向けられていたことであった。周恩来は、早くから西側とりわけアメリカ、日本との関係改善および国交正常化の道を開こうと尽力していたが、文革の嵐によってそれはまさに頓挫しようとしていた。
このよう日中双方において閉塞した状況下で、池田提言がなされたのである。池田提言は、一点の曇りもない明確な提言であった。そのポイントは、(1)中国の承認、(2)中国の国連議席回復、(3)日中首脳会談の実現、(4)経済的文化的交流の拡大、および(5)日中貿易の抑制を意図した「吉田書簡」の破棄である。この内容から、保守派を中心に多くの批判を浴びたが。日中友好を希求していた多くの人々には大きな勇気と希望を与えた。中国文化研究者の竹内好氏は「光はあったのだ」という一文を寄せ、その先見性と卓見を高く評価したのである。そしてその光は、周恩来の心にも届き、この提言を国交正常化への道筋とすべく全力を傾倒したのである。文革は継続中で、国内は混乱を極めており、四人組との闘争を続けながら国交正常化の道を切り開いていくことは、並大抵のことではなかった。周恩来の確固たる信念と強靱な精神力がなければ、とても実現不可能な話であったのである。
周恩来は、国交正常化の最大の難関であった国家賠償の問題を、その高潔な精神性と寛容の精神により、霧を晴らすように解消した。それは、国家賠償の放棄という大英断であった。日本の侵略によって多大の被害を被った中国人民にとっては、賠償放棄は承服できない話であったはずである。しかし周恩来は、日本軍国主義と日本人民とを明確に区別し、日本人民も日本軍国主義の被害者であるとの考えから、中国人の復讐心を眠らせ、人民同士の友好への道を切り開いたのである。そしてその結果、1971年に中国は国連の議席を回復し、翌1972年には日中国交正常化が実現したのである。周恩来は既に病魔に冒され、更には四人組との闘争も苛烈を極めていた。その中で、まさに命がけの仕事であった。日中国交正常化は、池田提言という光とそれに呼応した周恩来という傑出した指導者の成し遂げた歴史的偉業であり、どちらが欠けても実現しなかったはずである。1974年12月5日、池田先生と周恩来の歴史的会見は、最初で最後の出会いとなった。その2年後の1976年1月、周恩来は静かに息を引き取ったが、その死を悲しむ人民の慟哭が四人組を滅ぼし、中国を大混乱に陥れた文革を終焉させたのである。

1974年12月5日,周恩来总理虽抱病在身,但仍坚持在北京三零五医院会见了池田大作。其时周恩来总理76岁,池田大作46岁。
命がけで友好の道、日中に金の橋を架ける人たちもいれば、平気で土足で橋を叩き壊そうとする人たちもいます。どちらが、人類にとって大切な人か、冷静に考えていきたいものです。
以上
日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明は、日本と中華人民共和国(共産党政権)が国交を回復するために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された共同声明です。一般に日中共同声明として知られています。その記念すべき9月29日が40周年記念日でしたのに残念ですね。


国交が正常化されて、40年、残留孤児たちが帰ってこれたり、貿易や人的交流が始まり、今やお互いがなくてはならない隣人同士です。仲良くいきましょう。
この国交正常化を果たした日中共同声明を考察してみましょう。(主にウィキペディアより引用します)
調印
日本側
内閣総理大臣 田中角栄
外務大臣 大平正芳
中華人民共和国側
国務院総理 周恩来
外交部長 姫鵬飛
要旨
・日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。
・日中国交正常化の実現。
・日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
・日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
・中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
(前出記事:ポツダム宣言に記された日本の領有主権範囲をご参照ください)
・中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
・日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
・両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
・日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
・日中平和友好条約の締結を目指す。
以上 要旨です。

茅台(マオタイ)酒で乾杯(カンペイ)!
この声明の中で、中国側(周恩来)からあらためて、「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言」していただきました。日本は、侵略の目的の戦争をしたため、賠償を請求されれば、日本の戦後の復興は、50年はなかったと言われています。感謝せねばなりませんね。
この共同声明に至る成果は、その4年前の池田大作創価学会名誉会長の日大講堂での歴史的スピーチが大いに起点になったと言われています。
以下参考記事引用いたします 「日中国交正常化提言」↓

戦後永らく閉塞した状況におかれていた日中関係を改善させ、国交正常化への道を開き、今日の日中友好の華を咲かせたのは、紛れもなく1968年9月8日に行われた創価学会第11回学生部総会における池田先生の日中国交正常化提言である。当時の日本および中国を取り巻く国際情勢を考えれば、池田提言が如何に画期的かつ革新的であり、国交正常化を願う多くの人々に希望を与えたものであったかがわかる。1968年といえば、ベトナム戦争は継続中であり、学生部総会の前月にはチェコ動乱が勃発し、まさに騒乱とした状況であった。日本は、東西冷戦の中で西側の一員として、中華民国(台湾)が唯一合法の政権であるという立場を崩さず、中国の共産政権を認めるどころか、敵視していた。松村謙三氏や高碕達之助氏らの尽力によって友好関係の糸は繋ってはいたが、国交正常化という道筋はほとんど立てられていないという状況であった。一つの中国、一つの台湾という考え方も提示されたが、そのような妥協的な弥繕策は、中国側が到底呑める話ではなかった。
一方中国においても、1966年に文化大革命が勃発し、国交正常化の道は深く閉ざされてしまった状況にあった。文革の本質は、今日では毛沢東の奪権闘争であったことが明らかとなっているが、その運動論は西側の文化、文明、資本主義の徹底的な批判に留まらず、中国の伝統的な思想、文化、風俗、習慣(四旧)の打破という破壊的、狂信的なものであった。その上に、毛沢東の個人崇拝と毛沢東思想の絶対化という教条主義が重なって。多くの無婿の人民が悲劇的な運命を辿ったのである。当時、日中国交正常化ということを持ち出せば、「走資派」として弾圧の対象になりかねなかったと思われる。
このような中で周恩来は、文革がこのまま進行すれば西側諸国との断絶による国際的孤立化を招き、中国の近代化を大幅に遅らせてしまうことを深く憂慮していた。更には、毛沢東の陰にいる江青ら四人組の権勢が増大することは、中国を大混乱に陥れ、中国人民に取り返しのつかないほどの大きな損害を及ぼすことを深く危惧していた、しかし、文革はそもそも毛沢東が発動したものであるため、その嵐を押さえることは容易ではなかったのである。そして何よりも危機的であったのは、四人組の最終攻撃対象が周恩来に向けられていたことであった。周恩来は、早くから西側とりわけアメリカ、日本との関係改善および国交正常化の道を開こうと尽力していたが、文革の嵐によってそれはまさに頓挫しようとしていた。
このよう日中双方において閉塞した状況下で、池田提言がなされたのである。池田提言は、一点の曇りもない明確な提言であった。そのポイントは、(1)中国の承認、(2)中国の国連議席回復、(3)日中首脳会談の実現、(4)経済的文化的交流の拡大、および(5)日中貿易の抑制を意図した「吉田書簡」の破棄である。この内容から、保守派を中心に多くの批判を浴びたが。日中友好を希求していた多くの人々には大きな勇気と希望を与えた。中国文化研究者の竹内好氏は「光はあったのだ」という一文を寄せ、その先見性と卓見を高く評価したのである。そしてその光は、周恩来の心にも届き、この提言を国交正常化への道筋とすべく全力を傾倒したのである。文革は継続中で、国内は混乱を極めており、四人組との闘争を続けながら国交正常化の道を切り開いていくことは、並大抵のことではなかった。周恩来の確固たる信念と強靱な精神力がなければ、とても実現不可能な話であったのである。
周恩来は、国交正常化の最大の難関であった国家賠償の問題を、その高潔な精神性と寛容の精神により、霧を晴らすように解消した。それは、国家賠償の放棄という大英断であった。日本の侵略によって多大の被害を被った中国人民にとっては、賠償放棄は承服できない話であったはずである。しかし周恩来は、日本軍国主義と日本人民とを明確に区別し、日本人民も日本軍国主義の被害者であるとの考えから、中国人の復讐心を眠らせ、人民同士の友好への道を切り開いたのである。そしてその結果、1971年に中国は国連の議席を回復し、翌1972年には日中国交正常化が実現したのである。周恩来は既に病魔に冒され、更には四人組との闘争も苛烈を極めていた。その中で、まさに命がけの仕事であった。日中国交正常化は、池田提言という光とそれに呼応した周恩来という傑出した指導者の成し遂げた歴史的偉業であり、どちらが欠けても実現しなかったはずである。1974年12月5日、池田先生と周恩来の歴史的会見は、最初で最後の出会いとなった。その2年後の1976年1月、周恩来は静かに息を引き取ったが、その死を悲しむ人民の慟哭が四人組を滅ぼし、中国を大混乱に陥れた文革を終焉させたのである。

1974年12月5日,周恩来总理虽抱病在身,但仍坚持在北京三零五医院会见了池田大作。其时周恩来总理76岁,池田大作46岁。
命がけで友好の道、日中に金の橋を架ける人たちもいれば、平気で土足で橋を叩き壊そうとする人たちもいます。どちらが、人類にとって大切な人か、冷静に考えていきたいものです。
以上
タグ :日中共同声明
2012年09月19日
尖閣 反日 狂想曲に騙されるべからず!

反日デモが9.18記念で100か所で行われたといいます。
日中友好がピンチ! 戦争もありうる。そんなムードになってきました。
もう中国行ったらダメだかんね、怖い怖い、中国人大っ嫌い!というのが、日本人の大半ではないでしょうか。
そう、我々は、まんまと武器商人たちの手に陥ったのです。
戦争仕掛け人たちは、ここ数年、じっくりと準備してきました。その成果が上がってきましたね。
あとは、ニセの日本施設破壊事件でも起こして、犯人は中国テロと偽り、派手に戦争が勃発するのを待つばかりです。
皆さん、もう世界は一つです。偏狭なナショナリズムに踊らされてはいけません。
デモを主導しているのは一般の中国人ではないのです。組織化されたプロの集団です。もちろん、面白がって集まる庶民もいるでしょう。でも、主導しているのは、資金提供された仕事としてのデモ軍団です。資金を提供しているのが、実は日本人ということもあり得ます。実際、過去の日中戦争はそのようにして起きたからです。
あれだけの危険なデモの過激なシーンを撮っているのは誰でしょう。中国の放送局の人間ではありません。日本人の報道カメラマンか、日本人が雇った中国人カメラマンです。なぜか、暴動には巻き込まれた感じがありません。なぜなら、日本向けの報道のためのやらせデモだからです。日本の国旗を焼かせたり、きれいに印字された反日プラカードを用意しています。手書きは少ないですね。本当のデモなら、プラカードはほとんど手書きです。要するに、仕掛け人たちが用意したプラカードだということです。雇われデモの可能性が高いです。カメラマンも顔を写されたら後々証拠になり捕まるため、デモ隊にビデオカメラを没収され半殺しとなるはずです。中国では、デモは基本的に禁止され犯罪とされています。愛国心ということで大目に見ているだろうというのは、日本のマスコミのねつ造か、勘違いなのです。
中国人をよく知らない人たちは、愛国心の発露と見るでしょうが、日本人ほどの愛国心みたいなものはありません。自分にとって直接利害のないものには興味を持たないのが中国人です。だから、大方、99.99%の中国人は、尖閣についてはどうでもいいことなのです。政府については、どうでもいいというわけにはいきません。どうでもいいような対応をすれば、火の粉が政府に向かってきますし。
日本も、一部の者の行動や、意見をマスコミが大きく取り上げすぎです。
世界市民としての視点を持つべきです。

なぜか、毛沢東のそっくりさん登場。お祭り騒ぎですね。
日本も田中角栄のそっくりさんに登場してもらい、国交回復正常化40周年を記念し、原点の再確認をしましょう。
そして、茅台(マオタイ)酒でカンペイ!
この本は、急所を突いています。↓

『日本の国境問題――尖閣・竹島・北方領土』 (ちくま新書、2011年)
著者孫崎 享(まごさき うける、1943年 - )は、日本の元外交官、元防衛大学校教授、評論家。
孫崎氏の主張 (ウィキペディアより)
かねてから対米従属に警鐘を鳴らし、日米軍事同盟の相対化と自主防衛の強化を説いてきた。親米派が主流の外務省出身者としては異色の媚中派の論客である。2009年~2010年にかけて鳩山由紀夫政権を揺るがした普天間基地移設問題を巡り、数多く登場した自称鳩山ブレーンの一人として、盛んにメディアに登場した。在日アメリカ海兵隊の機能分散移転論者として知られ、鳩山首相には長崎県大村や福岡県築城等、九州各地の自衛隊施設内に海兵隊機能を分散して移転する案を提言したという。
続く尖閣諸島中国漁船衝突事件を巡っては、かつて存在したとされる領有権「棚上げ」合意に反して強硬路線を取りながら対米従属を深めて中国を牽制しようとする菅政権や外務大臣前原誠司を、自身のツイッターなどで厳しく批判している。
尖閣諸島については、「日本も中国も自国の領土だと主張しています。どちらもそれなりの根拠があるため、同盟国の米国も中立の立場を取っている」と指摘し、「係争地であるという出発点に立たなければならない」と主張している。中国の歴史から見ると「すでに14世紀にはその軍事力が尖閣諸島一帯に及んでいたという史実がある」という。
参考①
外務省のHPより
ポツダム宣言(1945年8月受諾)についての記述↓
ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国(米・英・中国)の決定する諸島に限定される旨規定しています。
この時点で、過去からの日本固有の領土という概念は少なくとも消えました。敗戦国日本は、実は諸島に関しては、領土を主張する権利はないのです。
参考②
これも外務省HPより
日中平和友好条約
日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約(1978年)
日本国及び中華人民共和国は、
千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、 国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。
日本国 外務大臣 園田 直
中華人民共和国 外交部長 黄 華
これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。
第一条
1 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
第二条
両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。
第三条
両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。
第四条
この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。
第五条
1 この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。
以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。
千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。
日本国のために 園田 直(署名)
中華人民共和国のために 黄 華(署名)
以上引用でした。
日中国交正常化から40年。両政府はこの間、3つの共同声明と1つの友好宣言を発表しています。これは、40年の成果です。いたずらに煽る一部の狂った扇動者に振り回されないよう、前記平和友好条約とあわせ再確認していきたいものです。
追記:ニュース記事より
「千円もらって参加」 中国、組織的に動員か 背後に当局の影
2012.9.20 07:51 [中国]
中国各地で発生、日系企業を襲撃するなど一部暴徒化した反日デモでは、多くの参加者が統一スローガンの書かれた横断幕を掲げ、「中国共産党万歳」と叫ぶ場面もしばしば見られた。中国政府は「日本は中国人民の声を直視せよ」(外務省)と主張するが、デモの背後には当局の影が見え隠れする。
「100元(約1200円)をもらってデモに集まった人もいる」。福建省のデモに参加したという男性が打ち明けた。中国シンクタンク研究者は「全国のデモを支援する出資者がいるのは間違いない」と述べ、大規模デモが組織的に行われている可能性を指摘する。(共同)
以上MSNニュースより転載
何気ない記事ですが、重要です。お金を配ってデモをする人たちを集めている事実が見えます。記事では、政府当局かも、としていますが、それはありえません。デモは、国として原則禁止ですし、当局もそのような事実はないと一切否定しています。では、誰がお金を出しているのでしょう。その意図は?日本円で1,200円は、中国人の物価からすれば、日本であれば一人約10,000円でデモ参加者を集めているということです。いい給料ですね。(日本人でも参加したいくらいです!

当然、デモ主導者リーダーたちは、多額の給料で雇われている職業デモ集団ということが見え見えです。やはりこれは、自発的なデモではありません、その裏にいる仕掛け人たちをあぶりだした方が良いですね。ですので、マスコミでこのやらせデモで騒ぐのは、仕掛け人たちに与するだけです。賢く見抜いていきましょう。
2012年07月23日
日中教育者交流シンポジウム 葫蘆島市教育訪問団歓迎
葫蘆島市教育訪問団の歓迎イベントの様子をカメラについた動画で撮影しました。
http://youtu.be/tnIWn4QmDe8
葫蘆島市教育訪問団歓迎の記念合唱
http://youtu.be/couvu9pBwe0
葫蘆島市長のご挨拶。
いいご挨拶ですね。
http://youtu.be/tnIWn4QmDe8
葫蘆島市教育訪問団歓迎の記念合唱
http://youtu.be/couvu9pBwe0
葫蘆島市長のご挨拶。
いいご挨拶ですね。
タグ :教育交通