2011年09月08日
中国大使館訪問② 双十革命と双十協定

夏みかんの木も植わっています。

左が、ビザを発給する建物です。

参事官邸。

大使館では、辛亥革命100周年記念写真展が開かれていました。
辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、中国で発生した革命。
清朝が打倒されて古代より続いた君主制が廃止され、共和制国家である中華民国が樹立されています。
勃発日の10月10日に因んで、「双十革命」「ダブル・テン(Double Ten)」とも称されます。

会議室かと思いましたが、映画館です。

中国美術。

中国人は、梅が好きですね。

上海万博の中国館。

いろいろな写真で、中国の100年を振り返ります。

玄関で、駐日大使を囲んで記念撮影。

毛沢東と蒋介石が重慶で撮った記念写真。歴史的な写真ですね。

重慶談判について
1945年8月28日、毛沢東、周恩来ら中国共産党の代表が重慶に向かった。国民党との話し合いのためだ。日本との戦争には辛うじて勝利したものの、共産党と国民党には厳しい対立の歴史があった。中国は再び内戦という戦火に覆われる危険があった。
日中戦争が始まったのは1937年。国民党を率いる蒋介石には当初、共産党と協力する意思はなかったが、張学良に身柄を拘束されたいわゆる「西安事変」の結果、「第二次国共合作」に同意した。
1945年8月15日、日本が降伏により日中戦争が終結すると、国民党政府の臨時首都が置かれていた重慶で、共産党の毛沢東と国民党の蒋介石によるトップ会談が開催されることになった。
この会談は重慶会談と呼ばれた。8月28日、毛沢東、周恩来らは会談に出席するため、共産党の根拠地である延安から重慶に向かった。40日以上に及ぶ交渉を経て、10月10日、共産党と国民党は、内戦を回避して政治協商の場を設けることなどで合意し、協定を締結した。この協定は「双十協定」と呼ばれる。
しかし実際には、国民党軍と共産党軍の間で続いていた衝突は「双十協定」が結ばれても収まらず、1946年夏に国民党軍は共産党の支配地域を本格的に攻撃。これにより1949年に中華人民共和国が誕生するまで、中国は内戦状態に陥った。
なお、重慶会議の後に国民党と共産党のトップ会談が実現したのは、60年後の2005年4月29日。国民党の連戦・主席(当時)が共産党の招待を受け、胡錦涛・総書記と北京で会談した。(編集担当:如月隼人・梅本可奈子)
10月10日は、日本では東京オリンピックの開催日として記憶されていますが、中国では政治的歴史を刻んだ日なのですね。
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Posted by ひろかず at 02:47│Comments(0)
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