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ひろかず
ひろかず
地球生まれ NAGANOcity在住

よろこびのたねまきをしたいきまぐれのまぬけ 

趣味:写真 創作 映画 音楽 旅行 甘食 サイクリング 山登り 

2010年06月06日

静の桜 満開


これが桜ですか、、、、といわれますが、イヌザクラという種類だそうです。
大町市美麻大塩に「静の桜公園」というところがあり、いまやっと満開です。


こんなに大きい桜です。葉っぱも茂っているので全体に緑っぽいですね。
900年以上の樹齢です。国宝級ですね。咲かない年も多く、養生されいて壮絶な姿の開花です。
静というのは、そう、源義経の愛妾、静御前のことです。

源平合戦後、兄の源頼朝に命を狙われ、源義経が京を落ちていくのに静御前は同行しました。ところが、九州へ向かう義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻されてしまいます。静御前は吉野で義経と別れ京へ戻りますが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよいます。そして、山僧に捕らえられ文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに頼朝のいる鎌倉に送られます。
4月8日、静御前は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられます。静御前は、

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるくまいた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)
と義経を慕う歌を唄い、舞いました。感動の聴衆。これにはさすがに、頼朝も激怒し即座に殺せと命じました。このとき、妻の北条政子が「私が静御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と、取り成したそうです。政子は、強いイメージがありますが、実はとても優しい女性ですね。

参照政子の優しさ 前出記事:
http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/search.php?search=%E7%BE%A9%E9%AB%98


『吾妻鏡』では、静御前の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛しています。日本の歴史のドラマチックな名場面ですね。
この時、静御前は義経の子を妊娠していていました。頼朝は女の子なら助けるが、男の子なら殺すと命じます。閏7月29日、静は男子を産みます。安達清常が赤子を受け取ろうとしますが、静は泣き叫んで離さなかったといいます。磯禅師が恐縮し、赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められました。この事は、政子が頼朝に嘆願し宥めましたが叶いませんでした。壮絶な悲しい話ですね。
9月16日、静と磯禅師は京に帰されました。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたといいます。
静のその後は一般には不明ですが、大町市美麻には、その後の静御前の伝説があります。

義経に会いたい一心で、奥州(東北地方)へ向かった静御前は、鎌倉を通る道を避け、信州に入り大町まで来ました。
「奥州」はどちらかと、尋ねると、現美麻地区の「大塩」を教えられ、向かいますが山をさまよい途方にくれ、病に倒れ、大塩の民に介抱されながら、息絶えたといいます。その時ついていた杖が、地面に挿しておいたら芽吹き、静の桜になったといわれます。あくまでも伝承です。別名「千年桜」ともいわれていて、山中深く美麻の丘に一本佇む姿は「神聖な桜」と伝えられ、修行僧が静御前の魂を供養し千年桜より癒されたといわれています。


解説の看板がありますが、色が飛んで読みづらいですね。



なんと、静御前の化身のように、、、、ふくろうの赤ちゃんが住んでいましたよ。  


Posted by ひろかず at 00:10Comments(0)花香る日