川島芳子 デマに生きデマに死す⑥ 天津寓居

ひろかず

2011年11月10日 23:58


川島芳子は、1937年7月末に天津が日本軍に占領されると、同地で料亭「東興楼」を経営し、女将になったと言われています。この建物は、その料亭の址か、寓居ではないかと思われますが確証はありません。

東光大楼と書かれていますので、なんとなく近いですかね。

芳子の好きそうな赤い花が咲いています。

結構大きな建物です。
この辺は、当時はフランスの租界でした。

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