佐久間象山遭難の地 三条木屋町界隈
佐久間象山遭難の地 京都三条木屋町界隈は、現在は若者が多く集まる繁華街です。
お金入れてあげてお兄さん。
木屋町と呼ばれる名が示すように、材木屋が軒を並べていたようです。高瀬川沿いで、高瀬舟が運んでくる材木の倉庫が立ち並ぶようになったため、いつしか「木屋町」と呼ばれたようです。木屋町周辺に残されている紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名は、当時の賑わいを彷彿させます。
江戸時代中頃にはこの通りを往来する旅人や商人を目当てに、料理屋や旅籠、酒屋などが店を構えるようになり、酒楼娯楽の場へと姿を変えました。幕末には勤皇志士が密会に利用したため、坂本龍馬や桂小五郎らの潜居跡や事跡の碑が繁華街のあちこちに立っており、大村益次郎や本間精一郎、佐久間象山などが殉難しています。今も変わらず歓楽街として賑わっています。
こういう小さな飲み屋さんの通りは見ているだけでもはしごした気分になりますね。
佐久間象山遭難の地碑。ここから北へ数百メートルのところで、自宅から馬にまたがって出てきたところを斬られました。象山を斬った刺客が、その後彼のことを学び、それ以来二度と暗殺をしなくなったという話が残っています。
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