2010年12月05日
信州葫蘆(コロ)島の友の会 忘年会
忘年会シーズンjですが、信州葫蘆(コロ)島の友の会の忘年会が松本の料亭仙石で開かれました。
穂苅甲子男会長のご挨拶。葫蘆(コロ)島は、日本人が戦後105万人ほど帰還した中国の港です。
満州に夢を抱き出かけた日本人の中でも信州の人たちは特に多かったようです。
事務長の大久保さん、羽を広げた孔雀になったようです。
高山議員。以前、葫蘆(コロ)島市と松本市が友好都市の提携が出来なかったことの無念を吐露。現在は、松本市は廊坊市と友好都市契約を結んでいますが、当時は廊坊市とは何の民間交流もありませんでした。3つの候補都市(他は山東半島の平度市)の中でただ北京に一番近いと言うだけの理由でした。松本市の市民活動で、葫蘆(コロ)島市とは、戦後から長い民間友好の歴史があっただけに残念でもあり、新しい市庁舎前のの大通りを松本大通りと名前をつけてくれたりした葫蘆(コロ)島市の人々に恥をかかせた暴挙として反省すべき出来事でした。
川口五郎(中国で教師をして慕われた)の研究者、小岩井さん。
公明党の白川議員。携帯電話は金や銀、銅のほか、パラジウムなど多くのレアメタルを使用していますが、レアメタルは中国が主要産出国で、長期的には価格が上がると予想されています。日中の友好関係が悪化すれば、将来携帯電話の価格が非常に高くなってしまうと警鐘。
塩原さんの閉めで、三三七拍子。
参考:新京櫻木小学校同窓会ホームページより満州の映像
http://www.geocities.jp/tan_2015/manchuria/index2.html
葫蘆(コロ)島市の位置図
1946年5月から満州在留邦人105万人の本国送還が始められた葫蘆島(「ひょうたん島」という意味)は、遼寧省西部の遼西回廊(遼東半島の西側、遼東湾の西北)にあり、北京を離れること448キロ。かつては、秦の始皇帝の離宮もあったという風光明媚なところです。
終戦から8ヶ月余り、長い人で約3年も苦難の日々を強いられ、やっと故国の地を踏んだ日本人引揚者たち。乳飲み子を抱き、遺骨を提げての帰国でした。また、帰還できなかった子供たちの多くは、残留孤児となりました。
3年間続いた中国東北地区在留日本人たちの葫蘆島からの引き揚げ作業。引揚者の総数は105万1,047人でした。
<「チャイナネット」2005/05/24 より>
3年間かかって引き上げたと言いますが、この間食事はどうしたのでしょう。なんと、葫蘆島市の人々が、自分たちの家で食べるものを削って、日本人のために供給してくれていたのです。中国の方たちに大感謝ですね。
タグ :葫蘆(コロ)島市
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Posted by ひろかず at 23:58│Comments(0)
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